毎日全力疾走ー!
by iskra
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旅する雑貨とスタンプイスクラの店主です。
ドイツ語学科卒業後、
旅行会社オペレーター、
宝石カメラマンの経験を経て
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当ブログ内の写真や文章は、イスクラ個人に属します。
転載する際は、出典をご明示ください。
その際にメールにてご連絡くださいませ。
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ベラルーシな時間 はぐれミーシャ純情派
(ミンスクの熱血教師はぐれミーシャさま)
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2006年 07月2006年 06月
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モスクワ3日目 エストニア・タリン行き寝台列車
旅日記はそろそろ初めの訪問地ロシアを終わろうとしておりますが、
これからテンションが徐々に下がってくるので続けられるかどうか疑問です(涙)
辛いたびではもちろんありませんが、ロシアの感動ほど心に残ったものはなかったからです。
6月8日
モスクワ最終日の朝。
朝ごはんはカッテージチーズのパンケーキ。ふわふわで美味しい~。
夕方6時にタリン行きの列車に乗るためにこの巨大な荷物を処理するかを検討。
ホテルにおいてあとからピックアップにくるか、それとも駅に早々預けに行くか・・・
また駅に行くにはどうするのが良いか、など検討した結果、
がんばって駅まで自ら持っていくという一番ハードな答えを出した我ら。
タクシーで行くとドミートリーいわく40ドルくらいかかるから・・・ということだけど
だったらあんたのトランスファーサービス(駅-ホテル)は何で25ドルなのよ?
まあ、ドミートリーはろしおさんのつっこみに口を濁していたらしい・・・
メトロで駅までいくと乗換えでリングのサークル駅を1つ行かねばならないのだけれど
そのリング上のメトロはどれもぎゅうぎゅう・・・朝も昼も、夜も。
それに我らの荷物はハードだ! でも一人100円くらいだし。
ということで時間もあるので、値段をとる。
その結果はやはりハードであった・・・
レニングラード駅はペテルブルク、タリン方面の列車が出ている駅で、
手荷物置き場は地下にあった。これが普通に階段だからハード・・・
時間をかけてようやく荷物を預け終え、今日はトゥベルスカヤ通りへ・・・
本屋にいってロシアのロードマップをゲット。
それからブリヌイのチェーン店で、チーズとハムのブリヌイを食べる。
まるでブリトー!おいしい~。
ろしおさんはおなかが減ってなかったので、ボルシチだけ。
しかし、一時間ほどでおなかが減ったらしくパリドックというホットドックを食べる。
その後麗しいレーニンをまた見に行って、赤の広場にもお別れ。うう、涙。
今日はポーズをとってくれたプーチン。でもなんか違うや。
想い出をキレイなままに残すには、やはり今すぐ日本に帰るべきでは?
モスクワも無難に乗り越え、旅に大満足の私たちはこういう見解になった。
誰だ?エストニアに行くといったのは?!
一体何のためにストックホルムまで行くのだ?(船に乗りたいがため・・・)と口論になったり、ならなかったり。(なってません 笑)
何でろしおさん、陸路でスペインまで行くのよ?! わかんねー!
誰がこんな長旅考えたんだー (もちろん自分らです) 早く家にかえりてー!
ロシアで旅のゴールを早々につかんでしまった二人は、残りの後半の日程を疎ましくさえ思い始めていた(笑)
それからネットカフェで程よく時間をつぶして、レニングラード駅でお茶。
ジャスミンティ、うまい。
タリン行きの列車に乗る前に夕食用のチェブラキ(?)を買う。
タリン行きの列車。朝の9時着。
エストニア国鉄、ちょっとこぎれいかな・・・我らの客車はいつもとあまり変わらない程度。
同室の人はロシア人の兄さんとおばちゃん。
おばちゃんは初めはにこやかな感じであったが、会話が少なくなるにつれ険しい表情で
じっと我らの行動を凝視・・・
その視線が痛い・・・一応クロスワードパズルをやっているのだが、心ここにあらずで、我らが気になるのかまったく進んでいる様子がない。
顔を上げると常に目が合うけど、まったくそらしてくれる気配もなし。
ひえー いたすぎまするー。 そんなに珍しい生き物じゃありませんよ、我ら。
列車は走り出しだす。
こんな感じでしめやかにモスクワに別れを告げ感傷に浸りつつ、
ロシアを離れる予定がおばさんのせいで台無し・・・
タリンへは一晩寝たらついてしまうのだが、それが長時間列車になれた我らにはなんか調子狂うかんじで、
すぐに着くから面白くない!みたいなことを二人とも言い出す。もう狂いまくり。
我らはおばさんの視線から逃れるように食堂車へ。
私は室内でインスタントの天ぷらそばを食べようと思って用意してたのだが、
そんなことしようものならおばさんが興奮して倒れちゃうかも! ノォ・・・
せっかくお湯の調達だ出来るのにもったいない夜であった。
食堂は別世界だった・・・
世界の車窓からの麗しい感じのレストランカーであった。
お客も西だ~ なんだこの垢抜けた客は・・・ (つまらない 涙)
なけなしのルーブルで、私はイタリアンサラダとチャイ、ろしおさんはラザニアを頼む。
ゴリエ似のお姉さんが、ラザニアは野菜ラザニアしかないといいに来る。
仕方ないので野菜ラザニアに変更。
しばらくするとまたおねえさんがやってきて サラダがないという。
露 語「イタリアン サラート トージェ ニェット!」
日本語「イタリアン サラダ も ないよ!」
しかもホントに語順が日本語と同じで一人でおおうけ。
急遽、あまり考えずにローズサラダというのにしてみる。
で、やってきたローズサラダ。 色におののく!
これはビーツのサラダでマヨネーズにサーモンとともにあえてある。
お味はなかなか。 (良かったよー 涙)
食堂車から戻るとおばさんはもう寝ており、兄さんは上の段で読書。
お兄さんに出国カードのことで色々聞きつつ、さて寝るか、と思っていると
まだおばさんはこちらを見ている。
瞬きもせずに険しい顔でこちらを見ている・・・。
あああ・・・。
私は下の段だったので、おばさんが横になるとテーブルの下でおばさんの視線とガチあう。
それでテーブルと寝台の隙間にリュックを入れて完全防御。
これでおばさんから私は見えませんよ!
もう私は疲れたよ、寝る。
ロシアの最後のオチはこのおばさん。やっぱりこんなオチも待っていた。
我らはついに運を使い果たしたか・・・
これからテンションが徐々に下がってくるので続けられるかどうか疑問です(涙)
辛いたびではもちろんありませんが、ロシアの感動ほど心に残ったものはなかったからです。
6月8日
モスクワ最終日の朝。
夕方6時にタリン行きの列車に乗るためにこの巨大な荷物を処理するかを検討。
ホテルにおいてあとからピックアップにくるか、それとも駅に早々預けに行くか・・・
また駅に行くにはどうするのが良いか、など検討した結果、
がんばって駅まで自ら持っていくという一番ハードな答えを出した我ら。
タクシーで行くとドミートリーいわく40ドルくらいかかるから・・・ということだけど
だったらあんたのトランスファーサービス(駅-ホテル)は何で25ドルなのよ?
まあ、ドミートリーはろしおさんのつっこみに口を濁していたらしい・・・
メトロで駅までいくと乗換えでリングのサークル駅を1つ行かねばならないのだけれど
そのリング上のメトロはどれもぎゅうぎゅう・・・朝も昼も、夜も。
それに我らの荷物はハードだ! でも一人100円くらいだし。
ということで時間もあるので、値段をとる。
その結果はやはりハードであった・・・
レニングラード駅はペテルブルク、タリン方面の列車が出ている駅で、
手荷物置き場は地下にあった。これが普通に階段だからハード・・・
時間をかけてようやく荷物を預け終え、今日はトゥベルスカヤ通りへ・・・
本屋にいってロシアのロードマップをゲット。
それからブリヌイのチェーン店で、チーズとハムのブリヌイを食べる。
しかし、一時間ほどでおなかが減ったらしくパリドックというホットドックを食べる。
その後麗しいレーニンをまた見に行って、赤の広場にもお別れ。うう、涙。
想い出をキレイなままに残すには、やはり今すぐ日本に帰るべきでは?
モスクワも無難に乗り越え、旅に大満足の私たちはこういう見解になった。
誰だ?エストニアに行くといったのは?!
一体何のためにストックホルムまで行くのだ?(船に乗りたいがため・・・)と口論になったり、ならなかったり。(なってません 笑)
何でろしおさん、陸路でスペインまで行くのよ?! わかんねー!
誰がこんな長旅考えたんだー (もちろん自分らです) 早く家にかえりてー!
ロシアで旅のゴールを早々につかんでしまった二人は、残りの後半の日程を疎ましくさえ思い始めていた(笑)
それからネットカフェで程よく時間をつぶして、レニングラード駅でお茶。
タリン行きの列車に乗る前に夕食用のチェブラキ(?)を買う。
エストニア国鉄、ちょっとこぎれいかな・・・我らの客車はいつもとあまり変わらない程度。
同室の人はロシア人の兄さんとおばちゃん。
おばちゃんは初めはにこやかな感じであったが、会話が少なくなるにつれ険しい表情で
じっと我らの行動を凝視・・・
その視線が痛い・・・一応クロスワードパズルをやっているのだが、心ここにあらずで、我らが気になるのかまったく進んでいる様子がない。
顔を上げると常に目が合うけど、まったくそらしてくれる気配もなし。
ひえー いたすぎまするー。 そんなに珍しい生き物じゃありませんよ、我ら。
列車は走り出しだす。
こんな感じでしめやかにモスクワに別れを告げ感傷に浸りつつ、
ロシアを離れる予定がおばさんのせいで台無し・・・
タリンへは一晩寝たらついてしまうのだが、それが長時間列車になれた我らにはなんか調子狂うかんじで、
すぐに着くから面白くない!みたいなことを二人とも言い出す。もう狂いまくり。
我らはおばさんの視線から逃れるように食堂車へ。
私は室内でインスタントの天ぷらそばを食べようと思って用意してたのだが、
そんなことしようものならおばさんが興奮して倒れちゃうかも! ノォ・・・
せっかくお湯の調達だ出来るのにもったいない夜であった。
食堂は別世界だった・・・
世界の車窓からの麗しい感じのレストランカーであった。
お客も西だ~ なんだこの垢抜けた客は・・・ (つまらない 涙)
なけなしのルーブルで、私はイタリアンサラダとチャイ、ろしおさんはラザニアを頼む。
ゴリエ似のお姉さんが、ラザニアは野菜ラザニアしかないといいに来る。
仕方ないので野菜ラザニアに変更。
しばらくするとまたおねえさんがやってきて サラダがないという。
露 語「イタリアン サラート トージェ ニェット!」
日本語「イタリアン サラダ も ないよ!」
しかもホントに語順が日本語と同じで一人でおおうけ。
急遽、あまり考えずにローズサラダというのにしてみる。
で、やってきたローズサラダ。
これはビーツのサラダでマヨネーズにサーモンとともにあえてある。
お味はなかなか。 (良かったよー 涙)
食堂車から戻るとおばさんはもう寝ており、兄さんは上の段で読書。
お兄さんに出国カードのことで色々聞きつつ、さて寝るか、と思っていると
まだおばさんはこちらを見ている。
瞬きもせずに険しい顔でこちらを見ている・・・。
あああ・・・。
私は下の段だったので、おばさんが横になるとテーブルの下でおばさんの視線とガチあう。
それでテーブルと寝台の隙間にリュックを入れて完全防御。
これでおばさんから私は見えませんよ!
もう私は疲れたよ、寝る。
ロシアの最後のオチはこのおばさん。やっぱりこんなオチも待っていた。
我らはついに運を使い果たしたか・・・
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by iskra
| 2006-07-16 20:08
| ロシア 2006
モスクワ2日目 赤の広場
6月7日
朝ホテルで朝食を食べる。
朝からマカロニかよ!と欧米人の声が聞こえてきそうなかんじで、残す人続出。
もちろん我らは完食。
生ハムとパン、チョコレートなど・・・
それから市場にモノを買いに行く。
今日は朝から行ったので、色々お店が出ていて、とても良い感じ。
調子にのってマトリョーシカやのおばさんの店で、奥まで入って物を見ていたら店員と間違われる。
でも、おばさんはたくさん買ったので、機嫌が良かった。
夢中になっているととっくにお昼をすぎていた。
これは露店で買った、ひき肉が入った揚げパイ。さっくりして、大きいし、劇うま。
くっきり歯型がつきました。たしか名前はチェブラキとかそんな名前だったはず・・・
簡単に昼食、お茶をして、ろしおさんの希望でチェブTシャツを買いに日本人客専用の土産屋に・・・(要はツアーに組み込まれるところです)
さすが、それ専用のお土産や、普通の場所にはないわー。
なんでっていうような建物の中にあって、探すのに一苦労。
しかしながら、ツアー客と思ったのか、Tシャツはお安くなった。
ろしおさんは6枚くらいは購入していた。私もつられて一枚買う。
大満足で土産屋を出て、アルバータ通りへ。
ここは歩行者天国で、観光客が集まるところ。
ちょうど日が差してきました。 ろしおさん
何かどっかでみましたなー。 マトリョーシカやがおおいです。
それから新アルバート通りまで行ってみたが、ここは特に成果なし。
途中、子チェブをゲットして、クレムリンへ。
ああ、クレムリン見えてきた・・・ 心弾む瞬間。
クレムリン、赤の広場は私にとっては思い入れの深いところ・・・
しみじみと感じていると、かっこいいレーニンが!!
レーニンとスターリン おおー、かっこよさと、きりっとした風貌に心奪われる・・・
彼らは観光客相手に一緒に写真を撮ってお金をもらっている。
是非私も仲間に入れて欲しいワー。 人気はないけどプーチンもいるよ。
さて、赤の広場・・・ 初めは入れなかったけど、20分位したら広場に入れたのでほっとする。
ろしおさんと赤の広場 いつ見ても美しいワジリー聖堂 この二人が作りましたが、あまりの美しさに時の皇帝がこれ以上のものを作れないように目をつぶしたらしいです・・・ 心和む石畳。数々の歴史の証人。
たくさんの人々の声と、血と涙を見てきたことでしょう。
私が世界で好きな場所の一つです。(あとはベルリンのunter den Lindenです、くどいようですが)
赤の広場も堪能して満足。
あとはビーフストロガノフを食べれば、遣り残したこともなし。ロシア100パーセントの満足度。
ということで気軽に食べれるバルみたいなところを探すけれど、程遠く、
結局ホテルのレストランなら置いてるかも?ということになりホテルに帰る。
帰る途中、ニコライ家の聖堂でぱちり。
ロシアホテルの隣にありますが、ロシアホテル今改装中・・・
ってあの巨大なホテルを改装って大変でしょうな。
ホテルのレストランは残念ながらビーフストロガノフがなくて、仕方なくボルシチとサーモングリルを食べる。
ロシアで唯一やり残したこと。
朝ホテルで朝食を食べる。
朝からマカロニかよ!と欧米人の声が聞こえてきそうなかんじで、残す人続出。
もちろん我らは完食。
それから市場にモノを買いに行く。
今日は朝から行ったので、色々お店が出ていて、とても良い感じ。
調子にのってマトリョーシカやのおばさんの店で、奥まで入って物を見ていたら店員と間違われる。
でも、おばさんはたくさん買ったので、機嫌が良かった。
夢中になっているととっくにお昼をすぎていた。
これは露店で買った、ひき肉が入った揚げパイ。さっくりして、大きいし、劇うま。
くっきり歯型がつきました。たしか名前はチェブラキとかそんな名前だったはず・・・
簡単に昼食、お茶をして、ろしおさんの希望でチェブTシャツを買いに日本人客専用の土産屋に・・・(要はツアーに組み込まれるところです)
さすが、それ専用のお土産や、普通の場所にはないわー。
なんでっていうような建物の中にあって、探すのに一苦労。
しかしながら、ツアー客と思ったのか、Tシャツはお安くなった。
ろしおさんは6枚くらいは購入していた。私もつられて一枚買う。
大満足で土産屋を出て、アルバータ通りへ。
ここは歩行者天国で、観光客が集まるところ。
それから新アルバート通りまで行ってみたが、ここは特に成果なし。
途中、子チェブをゲットして、クレムリンへ。
ああ、クレムリン見えてきた・・・ 心弾む瞬間。
クレムリン、赤の広場は私にとっては思い入れの深いところ・・・
しみじみと感じていると、かっこいいレーニンが!!
彼らは観光客相手に一緒に写真を撮ってお金をもらっている。
是非私も仲間に入れて欲しいワー。
さて、赤の広場・・・ 初めは入れなかったけど、20分位したら広場に入れたのでほっとする。
たくさんの人々の声と、血と涙を見てきたことでしょう。
私が世界で好きな場所の一つです。(あとはベルリンのunter den Lindenです、くどいようですが)
赤の広場も堪能して満足。
あとはビーフストロガノフを食べれば、遣り残したこともなし。ロシア100パーセントの満足度。
ということで気軽に食べれるバルみたいなところを探すけれど、程遠く、
結局ホテルのレストランなら置いてるかも?ということになりホテルに帰る。
ロシアホテルの隣にありますが、ロシアホテル今改装中・・・
ってあの巨大なホテルを改装って大変でしょうな。
ホテルのレストランは残念ながらビーフストロガノフがなくて、仕方なくボルシチとサーモングリルを食べる。
ロシアで唯一やり残したこと。
#
by iskra
| 2006-07-15 18:43
| ロシア 2006
3年ぶりのモスクワ
緊張の中、3年ぶりにモスクワに。
駅で我らをピックアップしてくれた兄さんは英語が堪能すぎて、
今までロシア人独特のサービスにどっぷり使っていた我らはこのアメリカナイズされた人物が半ば胡散臭くも思えてきた。
ろしおさんが「この駅は大きい駅ですね」というと、
彼「うーん、そんなに大きくないですよ」だって。
しかしながら首都モスクワの主要駅には変わらないのだ。
駅を抜けて、彼の車で、ホステルトランプことホテルツーリストに向かう。
や、やっぱりモスクワ、でっかいー。
そうこうしているうちに到着。
あそうそう、この入り口・・・ しかしながら敷地が広く、建物も多い。
このホテルの敷地内には、オフィス、ビジネスセンター、売店、レストラン、ビストロ、カフェがあり、
中級のホテルにしては、充実の設備、そして敷地面積である。
中庭は庭師が綺麗に手入れしている。
ホテルロビーにて兄さんがチェックインアシスト。レジストレーションもすぐに終わるとのことで。
兄さんに「ひょっとして、あなたがドミートリー?」と聞くと「イエス!挨拶を忘れてゴメンね」だって。
やっぱりドミートリーは胡散臭いヤツだ。
いったん部屋に荷物を置いて、チケットのピックアップのために敷地内の彼のオフィスに行くことになる。
部屋は56ドルにしては期待以上で、テレビ、冷蔵庫もあり、そしてうれしいバスタブもあった。
ここまでの日々水浴びで生き延びてきたので、さすがにうれしい。
しかしながら今でも3日ぐらいは我慢できると思う。
忍耐力が養われた。レベルが5上がった!
さて、ドミートリーのところに行ってから、我らがすること。
それは私は商材探し。ろしおさんチェブ狩り。
ドミートリーに卸の商店知ってるか?と聞くと、
んー、ホテルの売店でもいいのが売ってるよ!って使えない・・・
結局時間が微妙だが、市場に市場にいってみることに。
メトロまでは歩いて5分。
そこまでにちょっとした食べ物やなどあり、うれしい限り。
メトロの中では非常に二人ともカチカチで、不良青年に目をつけられやしないかとひやひや。
しかし、周りの人は至って普通。
ハンドバックに手を添えて、すりに注意しているほかは今までの人々と変わりない。
私たちの緊張も解れてくる。
市場はやっぱり終わりかけだったけれど、少し買い物も出来たし、ろしおさんはうたを唄うチェブを2匹捕獲できたので、双方とも満足。
時間が時間だったので、ホテルに戻りゆっくり過ごすことに。
メトロの近くのケバブやでラップまきのような、ブリトーのようなものを買ってそれを夕食に。
うまい。なんていったけな・・・ シャオルマかそんな名前。
売店でマロジナーエを買って部屋でくつろぐ。
無性に牛乳がのみたくなって買う。
旅初牛乳はモスクワで、でした。 マラコと書いてある。
ポーランド語ではムレコなので、間違ってユーリーさんにムレコと言ったら笑われた。
ムレコ、って変だったかしら?
駅で我らをピックアップしてくれた兄さんは英語が堪能すぎて、
今までロシア人独特のサービスにどっぷり使っていた我らはこのアメリカナイズされた人物が半ば胡散臭くも思えてきた。
ろしおさんが「この駅は大きい駅ですね」というと、
彼「うーん、そんなに大きくないですよ」だって。
しかしながら首都モスクワの主要駅には変わらないのだ。
駅を抜けて、彼の車で、ホステルトランプことホテルツーリストに向かう。
や、やっぱりモスクワ、でっかいー。
そうこうしているうちに到着。
あそうそう、この入り口・・・ しかしながら敷地が広く、建物も多い。
このホテルの敷地内には、オフィス、ビジネスセンター、売店、レストラン、ビストロ、カフェがあり、
中級のホテルにしては、充実の設備、そして敷地面積である。
中庭は庭師が綺麗に手入れしている。
ホテルロビーにて兄さんがチェックインアシスト。レジストレーションもすぐに終わるとのことで。
兄さんに「ひょっとして、あなたがドミートリー?」と聞くと「イエス!挨拶を忘れてゴメンね」だって。
やっぱりドミートリーは胡散臭いヤツだ。
いったん部屋に荷物を置いて、チケットのピックアップのために敷地内の彼のオフィスに行くことになる。
部屋は56ドルにしては期待以上で、テレビ、冷蔵庫もあり、そしてうれしいバスタブもあった。
ここまでの日々水浴びで生き延びてきたので、さすがにうれしい。
しかしながら今でも3日ぐらいは我慢できると思う。
忍耐力が養われた。レベルが5上がった!
さて、ドミートリーのところに行ってから、我らがすること。
それは私は商材探し。ろしおさんチェブ狩り。
ドミートリーに卸の商店知ってるか?と聞くと、
んー、ホテルの売店でもいいのが売ってるよ!って使えない・・・
結局時間が微妙だが、市場に市場にいってみることに。
メトロまでは歩いて5分。
そこまでにちょっとした食べ物やなどあり、うれしい限り。
メトロの中では非常に二人ともカチカチで、不良青年に目をつけられやしないかとひやひや。
しかし、周りの人は至って普通。
ハンドバックに手を添えて、すりに注意しているほかは今までの人々と変わりない。
私たちの緊張も解れてくる。
市場はやっぱり終わりかけだったけれど、少し買い物も出来たし、ろしおさんはうたを唄うチェブを2匹捕獲できたので、双方とも満足。
時間が時間だったので、ホテルに戻りゆっくり過ごすことに。
メトロの近くのケバブやでラップまきのような、ブリトーのようなものを買ってそれを夕食に。
うまい。なんていったけな・・・ シャオルマかそんな名前。
売店でマロジナーエを買って部屋でくつろぐ。
無性に牛乳がのみたくなって買う。
旅初牛乳はモスクワで、でした。
ポーランド語ではムレコなので、間違ってユーリーさんにムレコと言ったら笑われた。
ムレコ、って変だったかしら?
#
by iskra
| 2006-07-13 18:15
| ロシア 2006
モンゴル号4日目 モスクワ、ゴール!
6月6日
朝目覚めると、途中の停車駅から乗っていたおじさんが、上半身裸で寝ていた。
金の喜平ネックレスをしており(野球選手がよくしていた、あれです)、なんだかエロチック。
そう、まさに俳優の伊武雅刀です。
はは。
このおじさんは英語をしゃべるのだが、もう英語を操るロシア人には魅力を感じなくなっている奇妙な我ら。
おじさんのことはどうでもよくなる。 朝のホーム
朝からもちろん物を売る。
14時頃にモスクワにつくまで、おばちゃん車掌のウォッチングが楽しみであった。
途中駅で停車しているときに、車掌に一緒に写真写ってください!といったら
「あら!私?! そうねー。モスクワに着いたら正装になるから、そのときのほうがいいわよ~。
こんなこんな綺麗な格好になるからね。」と言われた。
そうか、正装になるのか、そりゃ楽しみだねー。
停車駅で。ろしおさん写す。
この日もちゃんと朝食パックと水、ランチを持ってきてくれた。
モスクワの駅では、ドミートリーに頼んだトランスファーがやってきているはずだ。
25ドル。
トランスファーなくてもいけそうだけれど、部屋代が安くなったので、トランスファーをお願いしたのである。
しかも、2003年にドミートリーのオフィスにヘルシンキ行きのチケットをピックアップに行ったのだが、場所が分かりにくく非常に苦労した記憶があったからだ。
ドミートリーはモスクワでユースホステルを経営しながら、列車の手配をやっている人で、レスポンスが非常によいので、今回も利用させていただいた。
そして、ドミートリーにホテルもオファーされたので、ツインルームチャージ56ドル(朝食付き、テレビ・バスつき)利用しようというきになった。
彼のホステルはホテルの部屋をユースホステルの料金で提供するという変わったものであった。
通常のホテルと変わらないということならば、なんだかお得である。しかも、チケット(タリン行き)をピックアップするのに、どちらにしろドミートリーのオフィスに行かねばならなかったので。 相変わらずうまいランチ。
最終日はそれほどモンゴル人の売り込みはなかった。
ひょっとしたら品切れか?
モスクワに近づくにつれ、駅が大きくなってきて、列車の速度も落ちてきた。
そして我々はとても淋しい気分になる。
よく本には、シベリア鉄道は面白いが、最終駅(モスクワまたはウラジヴォストーク)では
やっとついた!ということしか思い浮かばない、と書いてあるのだが、
我らからするとこんな興味深い乗り物は他にはない。
少なくとも私が乗った乗り物の中では間違いなくナンバー1の乗り物であった。
ビバ!モンゴル号!この一言に尽きる・・・
そして列車のたびは終わりを迎える。
なだらかにモスクワの町に入っていく。
このまま列車に乗り続けたいたい・・・ そのような思いが沸いて来た。
ウラジヴォストークからモスクワまで、さまざまな出会いがあり、笑いがあり、涙(?)があり、
その一つ一つが輝く想い出となって私とろしおさんの胸のうちに残っていた。
ドミートリーのいたずらでこの列車に乗ることになったが、今ではそのドミートリーにも感謝でいっぱいであった。
目の前を駆け抜ける風景はもう戻ってこない。確実に終わりが近づく。
この素晴らしい時間をなんと形容すればいいか・・・
形容するとなれば、今まで埋まっていなかった心のうちのワンピースであった。
方々旅を続けてきたけれど、本当の意味で長い旅を終えることが出来た。
新しい何かに進んでいけるような気がした。
列車はついにモスクワ・ヤロスラヴリ駅に到着した。
あっけなくゴールに着いてしまった。
扉付近にはすでに迎えの人が私らの名前カードを持ってたっていたが、
車掌と写真を撮ることが先決であった。
列車から降りる人は長旅を終えてニコニコしていた。
車掌も、食堂車の人たちも・・・
おばちゃん車掌は美しく化粧をして制服になっていた。
私とろしおさん、それぞれで写真をとる。
撮り終ると車掌がまた「サービス、ゼロ!」を連呼!
これが真のロシア人の姿であった。
素朴な人間味あふれるロシア人に我らはすこぶる満足であった。
他民族国家であるがゆえに差別されることもなく、常にフェアであった。
そして、ロシア人はその風貌と裏腹に底抜けに明るかった。
「ありがとう!さようなら!」車掌に別れを告げた。
そして、大都会モスクワへ一歩を踏み出していった。
朝目覚めると、途中の停車駅から乗っていたおじさんが、上半身裸で寝ていた。
金の喜平ネックレスをしており(野球選手がよくしていた、あれです)、なんだかエロチック。
そう、まさに俳優の伊武雅刀です。
はは。
このおじさんは英語をしゃべるのだが、もう英語を操るロシア人には魅力を感じなくなっている奇妙な我ら。
おじさんのことはどうでもよくなる。
14時頃にモスクワにつくまで、おばちゃん車掌のウォッチングが楽しみであった。
途中駅で停車しているときに、車掌に一緒に写真写ってください!といったら
「あら!私?! そうねー。モスクワに着いたら正装になるから、そのときのほうがいいわよ~。
こんなこんな綺麗な格好になるからね。」と言われた。
そうか、正装になるのか、そりゃ楽しみだねー。
停車駅で。ろしおさん写す。
この日もちゃんと朝食パックと水、ランチを持ってきてくれた。
モスクワの駅では、ドミートリーに頼んだトランスファーがやってきているはずだ。
25ドル。
トランスファーなくてもいけそうだけれど、部屋代が安くなったので、トランスファーをお願いしたのである。
しかも、2003年にドミートリーのオフィスにヘルシンキ行きのチケットをピックアップに行ったのだが、場所が分かりにくく非常に苦労した記憶があったからだ。
ドミートリーはモスクワでユースホステルを経営しながら、列車の手配をやっている人で、レスポンスが非常によいので、今回も利用させていただいた。
そして、ドミートリーにホテルもオファーされたので、ツインルームチャージ56ドル(朝食付き、テレビ・バスつき)利用しようというきになった。
彼のホステルはホテルの部屋をユースホステルの料金で提供するという変わったものであった。
通常のホテルと変わらないということならば、なんだかお得である。しかも、チケット(タリン行き)をピックアップするのに、どちらにしろドミートリーのオフィスに行かねばならなかったので。
最終日はそれほどモンゴル人の売り込みはなかった。
ひょっとしたら品切れか?
モスクワに近づくにつれ、駅が大きくなってきて、列車の速度も落ちてきた。
そして我々はとても淋しい気分になる。
よく本には、シベリア鉄道は面白いが、最終駅(モスクワまたはウラジヴォストーク)では
やっとついた!ということしか思い浮かばない、と書いてあるのだが、
我らからするとこんな興味深い乗り物は他にはない。
少なくとも私が乗った乗り物の中では間違いなくナンバー1の乗り物であった。
ビバ!モンゴル号!この一言に尽きる・・・
そして列車のたびは終わりを迎える。
なだらかにモスクワの町に入っていく。
このまま列車に乗り続けたいたい・・・ そのような思いが沸いて来た。
ウラジヴォストークからモスクワまで、さまざまな出会いがあり、笑いがあり、涙(?)があり、
その一つ一つが輝く想い出となって私とろしおさんの胸のうちに残っていた。
ドミートリーのいたずらでこの列車に乗ることになったが、今ではそのドミートリーにも感謝でいっぱいであった。
目の前を駆け抜ける風景はもう戻ってこない。確実に終わりが近づく。
この素晴らしい時間をなんと形容すればいいか・・・
形容するとなれば、今まで埋まっていなかった心のうちのワンピースであった。
方々旅を続けてきたけれど、本当の意味で長い旅を終えることが出来た。
新しい何かに進んでいけるような気がした。
列車はついにモスクワ・ヤロスラヴリ駅に到着した。
あっけなくゴールに着いてしまった。
扉付近にはすでに迎えの人が私らの名前カードを持ってたっていたが、
車掌と写真を撮ることが先決であった。
列車から降りる人は長旅を終えてニコニコしていた。
車掌も、食堂車の人たちも・・・
おばちゃん車掌は美しく化粧をして制服になっていた。
私とろしおさん、それぞれで写真をとる。
撮り終ると車掌がまた「サービス、ゼロ!」を連呼!
これが真のロシア人の姿であった。
素朴な人間味あふれるロシア人に我らはすこぶる満足であった。
他民族国家であるがゆえに差別されることもなく、常にフェアであった。
そして、ロシア人はその風貌と裏腹に底抜けに明るかった。
「ありがとう!さようなら!」車掌に別れを告げた。
そして、大都会モスクワへ一歩を踏み出していった。
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by iskra
| 2006-07-11 13:05
| ロシア 2006
モンゴル号3日目 大逆転!
6月5日 (つづき)
(ここまでのおさらい)
おいちゃん、サーシャ、塚ちゃんを失った心沈む我らの楽しみ、それは列車の到着にあわせ、どこからともなくやってくるロシア人とモンゴル人のやり取り。
またマロジナーエ(ロシアアイスクリーム)を買うことだけであった。
この列車は行商列車であって、ロシア車両がわずかに1両という奇妙な列車に我らは乗車してしまった。
これもモスクワで列車を手配したドミートリーのコミッションの関係で、決められた列車に乗車するはめになったことから起因したことであった。
列車のチケットがやたらと長く切り込まれていて(恐らく乗車賃を見かけ高く見せるため)この件で我らはモスクワでドミートリーのオフィスに行かねばならなかった・・・
さて、おいちゃんが去ったあともほとんどの駅でモンゴル人の物売りは続いた。
モスクワに近くなるごとに増える人々・・・
はるか後方まで人がぎっしり。しかも列車がホームに入ってきて、危ないのだが、お構いなし。
結局、列車と列車にはさまれて人々は苦労しながらもモノを買い続ける。
今日のマロジナーエ。だんだんふにゃコーンマロにお目にかからなくなる。
おばちゃん車掌もアイスクリームを求めキオスクにやってくる。
列車の乗降口にはモンゴルばあさんがモノを広げているので、なかなか上がれないのだが、おばちゃん車掌が中に入れてくれる。
停車駅でこう出たり入ったりすると、営業妨害で訴えられそうだ・・・
再び列車は走り出す。 なだらかな景色が続き、朝の寂しさも、モスクワに向かうという期待と不安とで薄れてくる。
乗客が少なくなってきたので、車掌の掃除がもともと行き届いている車内、
トイレも、廊下も使いたい放題になる。
と、おばちゃん車掌が交代になった様子。普段着に着替えてサモワールのお湯をバケツにくんでいる。
よくみると髪もぬれていて、すっきりした表情。
「トイレで水浴びしなさいよ~ 気持ちいいわよー」とにっこりのおばちゃん車掌。
なるほどトイレのドアにかかっていたナイロンタオルは体を洗うためのものだったのねーと納得。
それにしても車掌、明るいな・・・ これが本来のロシア人の姿か?
車掌休憩室の前を通るといつもおばさん車掌はお金を数えていた。
しかしながら、おばちゃん車掌が車掌の仕事をしているところをみたことがなかった。
しばらくして停車駅がやってくる。
案の定、列車が止まる前から、モンゴル人は窓から飛び降りてモノを売っている。
我らの乗降口はまたモンゴルばあさんの営業が始まりそうだったので、いち早くおりる。
降りて列車を見ると、またまたすさまじい光景であった。
(写真ぶれました)
モンゴルばあさんの店。値段は大して安くないが、
このトルソー攻撃はロシア人の
心に響くようだ。
主に婦人用品を売っている。
我らはマロジナーエを発見できなかったので、
車内に戻ろうとするが、おばちゃんの店が
繁盛しすぎて戻れない・・・
金髪の車掌にちょっとまってね、といわれる。
そして休憩中のおばさん車掌がなぜか登場。
カーラーを頭に巻いて休憩中の彼女が、
モンゴルばあさんの店を手伝っている・・・
というかむしろロシア人相手に普通に商売している。
こんなことがあって?!
わが目を疑うが車掌は商売上手であった・・・
ぶれたけど写真が撮れたよかったー
客の合間をぬって車掌が中にあげてくれるが、上がってビックリ。
おばちゃん車掌、金髪の車掌、乗客のロシア人ママがみんな売り物を手に持って、
モンゴルばあさんを手伝っている。
金髪車掌とロシア人ママは何がなんだか分からないけどやっているみたいな感じで苦笑い・・・
おばちゃん車掌はすっかり気をよくしてて、私たちにこれがロシアの新しいサービスよー!
といわんばかりに「サービス、ゼロ!」「サービス、ゼロ!」と叫びこ踊り!
もちろん指はグーになっているので、こちらもハラショー、グッジョブ!とお返し。
一同爆笑。
我らは淋しくモスクワまで向かう予定が、思わぬ車掌のパフォーマンスと人柄でそれが帳消しとなり、最後の夜を迎えることが出来たのであった。
客室でも二人でしばらく笑い続けていて、思い出すは車掌の小躍り。
おなかが痛くなるくらいであった。
モンゴル号、それは予想だにしないことが起こる不思議な空間・・・。
暗くなってきて、我らの笑いもおさまってきたので、寝ることに。
この夜はあまりの出来事に、何を食べたのか覚えていない。
ふと気づくと廊下が騒がしい。
そっと見やるとパーマ妹(推定13歳)とファミリーの子供(7歳くらい)に友情が芽生えたのか、一緒にケンケンをやって遊んでいた。
このロシア流のオチがたまらない。
我らは最後の夜に満足し、明日のモスクワを迎えた。
(ここまでのおさらい)
おいちゃん、サーシャ、塚ちゃんを失った心沈む我らの楽しみ、それは列車の到着にあわせ、どこからともなくやってくるロシア人とモンゴル人のやり取り。
またマロジナーエ(ロシアアイスクリーム)を買うことだけであった。
この列車は行商列車であって、ロシア車両がわずかに1両という奇妙な列車に我らは乗車してしまった。
これもモスクワで列車を手配したドミートリーのコミッションの関係で、決められた列車に乗車するはめになったことから起因したことであった。
列車のチケットがやたらと長く切り込まれていて(恐らく乗車賃を見かけ高く見せるため)この件で我らはモスクワでドミートリーのオフィスに行かねばならなかった・・・
さて、おいちゃんが去ったあともほとんどの駅でモンゴル人の物売りは続いた。
はるか後方まで人がぎっしり。しかも列車がホームに入ってきて、危ないのだが、お構いなし。
結局、列車と列車にはさまれて人々は苦労しながらもモノを買い続ける。
おばちゃん車掌もアイスクリームを求めキオスクにやってくる。
列車の乗降口にはモンゴルばあさんがモノを広げているので、なかなか上がれないのだが、おばちゃん車掌が中に入れてくれる。
停車駅でこう出たり入ったりすると、営業妨害で訴えられそうだ・・・
再び列車は走り出す。
乗客が少なくなってきたので、車掌の掃除がもともと行き届いている車内、
トイレも、廊下も使いたい放題になる。
と、おばちゃん車掌が交代になった様子。普段着に着替えてサモワールのお湯をバケツにくんでいる。
よくみると髪もぬれていて、すっきりした表情。
「トイレで水浴びしなさいよ~ 気持ちいいわよー」とにっこりのおばちゃん車掌。
なるほどトイレのドアにかかっていたナイロンタオルは体を洗うためのものだったのねーと納得。
それにしても車掌、明るいな・・・ これが本来のロシア人の姿か?
車掌休憩室の前を通るといつもおばさん車掌はお金を数えていた。
しかしながら、おばちゃん車掌が車掌の仕事をしているところをみたことがなかった。
しばらくして停車駅がやってくる。
案の定、列車が止まる前から、モンゴル人は窓から飛び降りてモノを売っている。
我らの乗降口はまたモンゴルばあさんの営業が始まりそうだったので、いち早くおりる。
降りて列車を見ると、またまたすさまじい光景であった。
(写真ぶれました)
モンゴルばあさんの店。値段は大して安くないが、
このトルソー攻撃はロシア人の
心に響くようだ。
主に婦人用品を売っている。
我らはマロジナーエを発見できなかったので、
車内に戻ろうとするが、おばちゃんの店が
繁盛しすぎて戻れない・・・
金髪の車掌にちょっとまってね、といわれる。
そして休憩中のおばさん車掌がなぜか登場。
カーラーを頭に巻いて休憩中の彼女が、
モンゴルばあさんの店を手伝っている・・・
というかむしろロシア人相手に普通に商売している。
こんなことがあって?!
わが目を疑うが車掌は商売上手であった・・・
ぶれたけど写真が撮れたよかったー
客の合間をぬって車掌が中にあげてくれるが、上がってビックリ。
おばちゃん車掌、金髪の車掌、乗客のロシア人ママがみんな売り物を手に持って、
モンゴルばあさんを手伝っている。
金髪車掌とロシア人ママは何がなんだか分からないけどやっているみたいな感じで苦笑い・・・
おばちゃん車掌はすっかり気をよくしてて、私たちにこれがロシアの新しいサービスよー!
といわんばかりに「サービス、ゼロ!」「サービス、ゼロ!」と叫びこ踊り!
もちろん指はグーになっているので、こちらもハラショー、グッジョブ!とお返し。
一同爆笑。
我らは淋しくモスクワまで向かう予定が、思わぬ車掌のパフォーマンスと人柄でそれが帳消しとなり、最後の夜を迎えることが出来たのであった。
客室でも二人でしばらく笑い続けていて、思い出すは車掌の小躍り。
おなかが痛くなるくらいであった。
モンゴル号、それは予想だにしないことが起こる不思議な空間・・・。
暗くなってきて、我らの笑いもおさまってきたので、寝ることに。
この夜はあまりの出来事に、何を食べたのか覚えていない。
ふと気づくと廊下が騒がしい。
そっと見やるとパーマ妹(推定13歳)とファミリーの子供(7歳くらい)に友情が芽生えたのか、一緒にケンケンをやって遊んでいた。
このロシア流のオチがたまらない。
我らは最後の夜に満足し、明日のモスクワを迎えた。
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by iskra
| 2006-07-10 18:46
| ロシア 2006