イスクラ
2020-07-06T13:51:34+09:00
iskra
毎日全力疾走ー!
Excite Blog
モスクワ3日目 エストニア・タリン行き寝台列車
http://ostost.exblog.jp/5278408/
2006-07-16T20:08:00+09:00
2020-07-06T13:51:34+09:00
2006-07-16T23:08:37+09:00
iskra
ロシア 2006
これからテンションが徐々に下がってくるので続けられるかどうか疑問です(涙)
辛いたびではもちろんありませんが、ロシアの感動ほど心に残ったものはなかったからです。
6月8日
モスクワ最終日の朝。
朝ごはんはカッテージチーズのパンケーキ。ふわふわで美味しい~。
夕方6時にタリン行きの列車に乗るためにこの巨大な荷物を処理するかを検討。
ホテルにおいてあとからピックアップにくるか、それとも駅に早々預けに行くか・・・
また駅に行くにはどうするのが良いか、など検討した結果、
がんばって駅まで自ら持っていくという一番ハードな答えを出した我ら。
タクシーで行くとドミートリーいわく40ドルくらいかかるから・・・ということだけど
だったらあんたのトランスファーサービス(駅-ホテル)は何で25ドルなのよ?
まあ、ドミートリーはろしおさんのつっこみに口を濁していたらしい・・・
メトロで駅までいくと乗換えでリングのサークル駅を1つ行かねばならないのだけれど
そのリング上のメトロはどれもぎゅうぎゅう・・・朝も昼も、夜も。
それに我らの荷物はハードだ! でも一人100円くらいだし。
ということで時間もあるので、値段をとる。
その結果はやはりハードであった・・・
レニングラード駅はペテルブルク、タリン方面の列車が出ている駅で、
手荷物置き場は地下にあった。これが普通に階段だからハード・・・
時間をかけてようやく荷物を預け終え、今日はトゥベルスカヤ通りへ・・・
本屋にいってロシアのロードマップをゲット。
それからブリヌイのチェーン店で、チーズとハムのブリヌイを食べる。
まるでブリトー!おいしい~。
ろしおさんはおなかが減ってなかったので、ボルシチだけ。
しかし、一時間ほどでおなかが減ったらしくパリドックというホットドックを食べる。
その後麗しいレーニンをまた見に行って、赤の広場にもお別れ。うう、涙。
今日はポーズをとってくれたプーチン。でもなんか違うや。
想い出をキレイなままに残すには、やはり今すぐ日本に帰るべきでは?
モスクワも無難に乗り越え、旅に大満足の私たちはこういう見解になった。
誰だ?エストニアに行くといったのは?!
一体何のためにストックホルムまで行くのだ?(船に乗りたいがため・・・)と口論になったり、ならなかったり。(なってません 笑)
何でろしおさん、陸路でスペインまで行くのよ?! わかんねー!
誰がこんな長旅考えたんだー (もちろん自分らです) 早く家にかえりてー!
ロシアで旅のゴールを早々につかんでしまった二人は、残りの後半の日程を疎ましくさえ思い始めていた(笑)
それからネットカフェで程よく時間をつぶして、レニングラード駅でお茶。
ジャスミンティ、うまい。
タリン行きの列車に乗る前に夕食用のチェブラキ(?)を買う。
タリン行きの列車。朝の9時着。
エストニア国鉄、ちょっとこぎれいかな・・・我らの客車はいつもとあまり変わらない程度。
同室の人はロシア人の兄さんとおばちゃん。
おばちゃんは初めはにこやかな感じであったが、会話が少なくなるにつれ険しい表情で
じっと我らの行動を凝視・・・
その視線が痛い・・・一応クロスワードパズルをやっているのだが、心ここにあらずで、我らが気になるのかまったく進んでいる様子がない。
顔を上げると常に目が合うけど、まったくそらしてくれる気配もなし。
ひえー いたすぎまするー。 そんなに珍しい生き物じゃありませんよ、我ら。
列車は走り出しだす。
こんな感じでしめやかにモスクワに別れを告げ感傷に浸りつつ、
ロシアを離れる予定がおばさんのせいで台無し・・・
タリンへは一晩寝たらついてしまうのだが、それが長時間列車になれた我らにはなんか調子狂うかんじで、
すぐに着くから面白くない!みたいなことを二人とも言い出す。もう狂いまくり。
我らはおばさんの視線から逃れるように食堂車へ。
私は室内でインスタントの天ぷらそばを食べようと思って用意してたのだが、
そんなことしようものならおばさんが興奮して倒れちゃうかも! ノォ・・・
せっかくお湯の調達だ出来るのにもったいない夜であった。
食堂は別世界だった・・・
世界の車窓からの麗しい感じのレストランカーであった。
お客も西だ~ なんだこの垢抜けた客は・・・ (つまらない 涙)
なけなしのルーブルで、私はイタリアンサラダとチャイ、ろしおさんはラザニアを頼む。
ゴリエ似のお姉さんが、ラザニアは野菜ラザニアしかないといいに来る。
仕方ないので野菜ラザニアに変更。
しばらくするとまたおねえさんがやってきて サラダがないという。
露 語「イタリアン サラート トージェ ニェット!」
日本語「イタリアン サラダ も ないよ!」
しかもホントに語順が日本語と同じで一人でおおうけ。
急遽、あまり考えずにローズサラダというのにしてみる。
で、やってきたローズサラダ。色におののく!
これはビーツのサラダでマヨネーズにサーモンとともにあえてある。
お味はなかなか。 (良かったよー 涙)
食堂車から戻るとおばさんはもう寝ており、兄さんは上の段で読書。
お兄さんに出国カードのことで色々聞きつつ、さて寝るか、と思っていると
まだおばさんはこちらを見ている。
瞬きもせずに険しい顔でこちらを見ている・・・。
あああ・・・。
私は下の段だったので、おばさんが横になるとテーブルの下でおばさんの視線とガチあう。
それでテーブルと寝台の隙間にリュックを入れて完全防御。
これでおばさんから私は見えませんよ!
もう私は疲れたよ、寝る。
ロシアの最後のオチはこのおばさん。やっぱりこんなオチも待っていた。
我らはついに運を使い果たしたか・・・
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モスクワ2日目 赤の広場
http://ostost.exblog.jp/5269697/
2006-07-15T18:43:00+09:00
2020-07-06T13:51:34+09:00
2006-07-15T18:43:18+09:00
iskra
ロシア 2006
朝ホテルで朝食を食べる。
朝からマカロニかよ!と欧米人の声が聞こえてきそうなかんじで、残す人続出。
もちろん我らは完食。
生ハムとパン、チョコレートなど・・・
それから市場にモノを買いに行く。
今日は朝から行ったので、色々お店が出ていて、とても良い感じ。
調子にのってマトリョーシカやのおばさんの店で、奥まで入って物を見ていたら店員と間違われる。
でも、おばさんはたくさん買ったので、機嫌が良かった。
夢中になっているととっくにお昼をすぎていた。
これは露店で買った、ひき肉が入った揚げパイ。さっくりして、大きいし、劇うま。
くっきり歯型がつきました。たしか名前はチェブラキとかそんな名前だったはず・・・
簡単に昼食、お茶をして、ろしおさんの希望でチェブTシャツを買いに日本人客専用の土産屋に・・・(要はツアーに組み込まれるところです)
さすが、それ専用のお土産や、普通の場所にはないわー。
なんでっていうような建物の中にあって、探すのに一苦労。
しかしながら、ツアー客と思ったのか、Tシャツはお安くなった。
ろしおさんは6枚くらいは購入していた。私もつられて一枚買う。
大満足で土産屋を出て、アルバータ通りへ。
ここは歩行者天国で、観光客が集まるところ。
ちょうど日が差してきました。ろしおさん
何かどっかでみましたなー。マトリョーシカやがおおいです。
それから新アルバート通りまで行ってみたが、ここは特に成果なし。
途中、子チェブをゲットして、クレムリンへ。
ああ、クレムリン見えてきた・・・ 心弾む瞬間。
クレムリン、赤の広場は私にとっては思い入れの深いところ・・・
しみじみと感じていると、かっこいいレーニンが!!
レーニンとスターリンおおー、かっこよさと、きりっとした風貌に心奪われる・・・
彼らは観光客相手に一緒に写真を撮ってお金をもらっている。
是非私も仲間に入れて欲しいワー。人気はないけどプーチンもいるよ。
さて、赤の広場・・・ 初めは入れなかったけど、20分位したら広場に入れたのでほっとする。
ろしおさんと赤の広場いつ見ても美しいワジリー聖堂この二人が作りましたが、あまりの美しさに時の皇帝がこれ以上のものを作れないように目をつぶしたらしいです・・・心和む石畳。数々の歴史の証人。
たくさんの人々の声と、血と涙を見てきたことでしょう。
私が世界で好きな場所の一つです。(あとはベルリンのunter den Lindenです、くどいようですが)
赤の広場も堪能して満足。
あとはビーフストロガノフを食べれば、遣り残したこともなし。ロシア100パーセントの満足度。
ということで気軽に食べれるバルみたいなところを探すけれど、程遠く、
結局ホテルのレストランなら置いてるかも?ということになりホテルに帰る。
帰る途中、ニコライ家の聖堂でぱちり。
ロシアホテルの隣にありますが、ロシアホテル今改装中・・・
ってあの巨大なホテルを改装って大変でしょうな。
ホテルのレストランは残念ながらビーフストロガノフがなくて、仕方なくボルシチとサーモングリルを食べる。
ロシアで唯一やり残したこと。
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3年ぶりのモスクワ
http://ostost.exblog.jp/5248351/
2006-07-13T18:15:00+09:00
2020-07-06T13:51:34+09:00
2006-07-12T21:15:18+09:00
iskra
ロシア 2006
駅で我らをピックアップしてくれた兄さんは英語が堪能すぎて、
今までロシア人独特のサービスにどっぷり使っていた我らはこのアメリカナイズされた人物が半ば胡散臭くも思えてきた。
ろしおさんが「この駅は大きい駅ですね」というと、
彼「うーん、そんなに大きくないですよ」だって。
しかしながら首都モスクワの主要駅には変わらないのだ。
駅を抜けて、彼の車で、ホステルトランプことホテルツーリストに向かう。
や、やっぱりモスクワ、でっかいー。
そうこうしているうちに到着。
あそうそう、この入り口・・・ しかしながら敷地が広く、建物も多い。
このホテルの敷地内には、オフィス、ビジネスセンター、売店、レストラン、ビストロ、カフェがあり、
中級のホテルにしては、充実の設備、そして敷地面積である。
中庭は庭師が綺麗に手入れしている。
ホテルロビーにて兄さんがチェックインアシスト。レジストレーションもすぐに終わるとのことで。
兄さんに「ひょっとして、あなたがドミートリー?」と聞くと「イエス!挨拶を忘れてゴメンね」だって。
やっぱりドミートリーは胡散臭いヤツだ。
いったん部屋に荷物を置いて、チケットのピックアップのために敷地内の彼のオフィスに行くことになる。
部屋は56ドルにしては期待以上で、テレビ、冷蔵庫もあり、そしてうれしいバスタブもあった。
ここまでの日々水浴びで生き延びてきたので、さすがにうれしい。
しかしながら今でも3日ぐらいは我慢できると思う。
忍耐力が養われた。レベルが5上がった!
さて、ドミートリーのところに行ってから、我らがすること。
それは私は商材探し。ろしおさんチェブ狩り。
ドミートリーに卸の商店知ってるか?と聞くと、
んー、ホテルの売店でもいいのが売ってるよ!って使えない・・・
結局時間が微妙だが、市場に市場にいってみることに。
メトロまでは歩いて5分。
そこまでにちょっとした食べ物やなどあり、うれしい限り。
メトロの中では非常に二人ともカチカチで、不良青年に目をつけられやしないかとひやひや。
しかし、周りの人は至って普通。
ハンドバックに手を添えて、すりに注意しているほかは今までの人々と変わりない。
私たちの緊張も解れてくる。
市場はやっぱり終わりかけだったけれど、少し買い物も出来たし、ろしおさんはうたを唄うチェブを2匹捕獲できたので、双方とも満足。
時間が時間だったので、ホテルに戻りゆっくり過ごすことに。
メトロの近くのケバブやでラップまきのような、ブリトーのようなものを買ってそれを夕食に。
うまい。なんていったけな・・・ シャオルマかそんな名前。
売店でマロジナーエを買って部屋でくつろぐ。
無性に牛乳がのみたくなって買う。
旅初牛乳はモスクワで、でした。マラコと書いてある。
ポーランド語ではムレコなので、間違ってユーリーさんにムレコと言ったら笑われた。
ムレコ、って変だったかしら?]]>
モンゴル号4日目 モスクワ、ゴール!
http://ostost.exblog.jp/5238003/
2006-07-11T13:05:00+09:00
2020-07-06T13:51:34+09:00
2006-07-11T13:05:31+09:00
iskra
ロシア 2006
朝目覚めると、途中の停車駅から乗っていたおじさんが、上半身裸で寝ていた。
金の喜平ネックレスをしており(野球選手がよくしていた、あれです)、なんだかエロチック。
そう、まさに俳優の伊武雅刀です。
はは。
このおじさんは英語をしゃべるのだが、もう英語を操るロシア人には魅力を感じなくなっている奇妙な我ら。
おじさんのことはどうでもよくなる。朝のホーム
朝からもちろん物を売る。
14時頃にモスクワにつくまで、おばちゃん車掌のウォッチングが楽しみであった。
途中駅で停車しているときに、車掌に一緒に写真写ってください!といったら
「あら!私?! そうねー。モスクワに着いたら正装になるから、そのときのほうがいいわよ~。
こんなこんな綺麗な格好になるからね。」と言われた。
そうか、正装になるのか、そりゃ楽しみだねー。
停車駅で。ろしおさん写す。
この日もちゃんと朝食パックと水、ランチを持ってきてくれた。
モスクワの駅では、ドミートリーに頼んだトランスファーがやってきているはずだ。
25ドル。
トランスファーなくてもいけそうだけれど、部屋代が安くなったので、トランスファーをお願いしたのである。
しかも、2003年にドミートリーのオフィスにヘルシンキ行きのチケットをピックアップに行ったのだが、場所が分かりにくく非常に苦労した記憶があったからだ。
ドミートリーはモスクワでユースホステルを経営しながら、列車の手配をやっている人で、レスポンスが非常によいので、今回も利用させていただいた。
そして、ドミートリーにホテルもオファーされたので、ツインルームチャージ56ドル(朝食付き、テレビ・バスつき)利用しようというきになった。
彼のホステルはホテルの部屋をユースホステルの料金で提供するという変わったものであった。
通常のホテルと変わらないということならば、なんだかお得である。しかも、チケット(タリン行き)をピックアップするのに、どちらにしろドミートリーのオフィスに行かねばならなかったので。相変わらずうまいランチ。
最終日はそれほどモンゴル人の売り込みはなかった。
ひょっとしたら品切れか?
モスクワに近づくにつれ、駅が大きくなってきて、列車の速度も落ちてきた。
そして我々はとても淋しい気分になる。
よく本には、シベリア鉄道は面白いが、最終駅(モスクワまたはウラジヴォストーク)では
やっとついた!ということしか思い浮かばない、と書いてあるのだが、
我らからするとこんな興味深い乗り物は他にはない。
少なくとも私が乗った乗り物の中では間違いなくナンバー1の乗り物であった。
ビバ!モンゴル号!この一言に尽きる・・・
そして列車のたびは終わりを迎える。
なだらかにモスクワの町に入っていく。
このまま列車に乗り続けたいたい・・・ そのような思いが沸いて来た。
ウラジヴォストークからモスクワまで、さまざまな出会いがあり、笑いがあり、涙(?)があり、
その一つ一つが輝く想い出となって私とろしおさんの胸のうちに残っていた。
ドミートリーのいたずらでこの列車に乗ることになったが、今ではそのドミートリーにも感謝でいっぱいであった。
目の前を駆け抜ける風景はもう戻ってこない。確実に終わりが近づく。
この素晴らしい時間をなんと形容すればいいか・・・
形容するとなれば、今まで埋まっていなかった心のうちのワンピースであった。
方々旅を続けてきたけれど、本当の意味で長い旅を終えることが出来た。
新しい何かに進んでいけるような気がした。
列車はついにモスクワ・ヤロスラヴリ駅に到着した。
あっけなくゴールに着いてしまった。
扉付近にはすでに迎えの人が私らの名前カードを持ってたっていたが、
車掌と写真を撮ることが先決であった。
列車から降りる人は長旅を終えてニコニコしていた。
車掌も、食堂車の人たちも・・・
おばちゃん車掌は美しく化粧をして制服になっていた。
私とろしおさん、それぞれで写真をとる。
撮り終ると車掌がまた「サービス、ゼロ!」を連呼!
これが真のロシア人の姿であった。
素朴な人間味あふれるロシア人に我らはすこぶる満足であった。
他民族国家であるがゆえに差別されることもなく、常にフェアであった。
そして、ロシア人はその風貌と裏腹に底抜けに明るかった。
「ありがとう!さようなら!」車掌に別れを告げた。
そして、大都会モスクワへ一歩を踏み出していった。
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モンゴル号3日目 大逆転!
http://ostost.exblog.jp/5231344/
2006-07-10T18:46:00+09:00
2020-07-06T13:51:34+09:00
2006-07-10T18:46:08+09:00
iskra
ロシア 2006
(ここまでのおさらい)
おいちゃん、サーシャ、塚ちゃんを失った心沈む我らの楽しみ、それは列車の到着にあわせ、どこからともなくやってくるロシア人とモンゴル人のやり取り。
またマロジナーエ(ロシアアイスクリーム)を買うことだけであった。
この列車は行商列車であって、ロシア車両がわずかに1両という奇妙な列車に我らは乗車してしまった。
これもモスクワで列車を手配したドミートリーのコミッションの関係で、決められた列車に乗車するはめになったことから起因したことであった。
列車のチケットがやたらと長く切り込まれていて(恐らく乗車賃を見かけ高く見せるため)この件で我らはモスクワでドミートリーのオフィスに行かねばならなかった・・・
さて、おいちゃんが去ったあともほとんどの駅でモンゴル人の物売りは続いた。
モスクワに近くなるごとに増える人々・・・
はるか後方まで人がぎっしり。しかも列車がホームに入ってきて、危ないのだが、お構いなし。
結局、列車と列車にはさまれて人々は苦労しながらもモノを買い続ける。
今日のマロジナーエ。だんだんふにゃコーンマロにお目にかからなくなる。
おばちゃん車掌もアイスクリームを求めキオスクにやってくる。
列車の乗降口にはモンゴルばあさんがモノを広げているので、なかなか上がれないのだが、おばちゃん車掌が中に入れてくれる。
停車駅でこう出たり入ったりすると、営業妨害で訴えられそうだ・・・
再び列車は走り出す。なだらかな景色が続き、朝の寂しさも、モスクワに向かうという期待と不安とで薄れてくる。
乗客が少なくなってきたので、車掌の掃除がもともと行き届いている車内、
トイレも、廊下も使いたい放題になる。
と、おばちゃん車掌が交代になった様子。普段着に着替えてサモワールのお湯をバケツにくんでいる。
よくみると髪もぬれていて、すっきりした表情。
「トイレで水浴びしなさいよ~ 気持ちいいわよー」とにっこりのおばちゃん車掌。
なるほどトイレのドアにかかっていたナイロンタオルは体を洗うためのものだったのねーと納得。
それにしても車掌、明るいな・・・ これが本来のロシア人の姿か?
車掌休憩室の前を通るといつもおばさん車掌はお金を数えていた。
しかしながら、おばちゃん車掌が車掌の仕事をしているところをみたことがなかった。
しばらくして停車駅がやってくる。
案の定、列車が止まる前から、モンゴル人は窓から飛び降りてモノを売っている。
我らの乗降口はまたモンゴルばあさんの営業が始まりそうだったので、いち早くおりる。
降りて列車を見ると、またまたすさまじい光景であった。
(写真ぶれました)
モンゴルばあさんの店。値段は大して安くないが、
このトルソー攻撃はロシア人の
心に響くようだ。
主に婦人用品を売っている。
我らはマロジナーエを発見できなかったので、
車内に戻ろうとするが、おばちゃんの店が
繁盛しすぎて戻れない・・・
金髪の車掌にちょっとまってね、といわれる。
そして休憩中のおばさん車掌がなぜか登場。
カーラーを頭に巻いて休憩中の彼女が、
モンゴルばあさんの店を手伝っている・・・
というかむしろロシア人相手に普通に商売している。
こんなことがあって?!
わが目を疑うが車掌は商売上手であった・・・
ぶれたけど写真が撮れたよかったー
客の合間をぬって車掌が中にあげてくれるが、上がってビックリ。
おばちゃん車掌、金髪の車掌、乗客のロシア人ママがみんな売り物を手に持って、
モンゴルばあさんを手伝っている。
金髪車掌とロシア人ママは何がなんだか分からないけどやっているみたいな感じで苦笑い・・・
おばちゃん車掌はすっかり気をよくしてて、私たちにこれがロシアの新しいサービスよー!
といわんばかりに「サービス、ゼロ!」「サービス、ゼロ!」と叫びこ踊り!
もちろん指はグーになっているので、こちらもハラショー、グッジョブ!とお返し。
一同爆笑。
我らは淋しくモスクワまで向かう予定が、思わぬ車掌のパフォーマンスと人柄でそれが帳消しとなり、最後の夜を迎えることが出来たのであった。
客室でも二人でしばらく笑い続けていて、思い出すは車掌の小躍り。
おなかが痛くなるくらいであった。
モンゴル号、それは予想だにしないことが起こる不思議な空間・・・。
暗くなってきて、我らの笑いもおさまってきたので、寝ることに。
この夜はあまりの出来事に、何を食べたのか覚えていない。
ふと気づくと廊下が騒がしい。
そっと見やるとパーマ妹(推定13歳)とファミリーの子供(7歳くらい)に友情が芽生えたのか、一緒にケンケンをやって遊んでいた。
このロシア流のオチがたまらない。
我らは最後の夜に満足し、明日のモスクワを迎えた。
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モンゴル号3日目 別れの朝
http://ostost.exblog.jp/5226778/
2006-07-09T19:00:00+09:00
2020-07-06T13:51:34+09:00
2006-07-10T00:57:48+09:00
iskra
ロシア 2006
今日はかなり晴れ渡りまして、気温もあがりましたので、琉球もろみ酢を氷水でわってごくごく飲んでおります。
6月5日
朝早くに目が覚める。おいちゃんはとうに起きていて、荷物をまとめ始めていた。
塚ちゃんもまもなくおきる。
チュメニまであと数時間。
塚ちゃんはチュメニが近づいてくると落ち着かないのかウロウロ。
荷物はまとめてないのだがたったり座ったり、廊下にでたりで忙しい・・・
そういえば社員旅行の前の塚本さんも3日ぐらい前からそわそわして興奮しているようだったな。
ちゃんと夜眠れたのだろうか?
チュメニが目前に迫って、ろしおさんがおいちゃんに扇子をプレゼント。
ぼそっと「私のおくさんに?」といったけれどおいちゃんはとてもそれを喜んだ。
そして、おいちゃんはカバンの中から何かを取り出して、ろしおさんに渡した。
それは恐らくおいちゃんが娘へと買ったプレゼントだったに違いない、
ピンクゴールドの縁取りがある艶やかなうつくしい琥珀のペンダントだった。
ろしおさんもそれをとてもうれしそうに受け取った。
そして、なんだかわらしべ長者のようだ、ともいった。同じ意見である(笑)
列車は走り、チュメニに到着してしまった。シベリアの有数の都市で、ガスで有名な工業都市である。
おいちゃんはここから自分の町まで、さらに600キロ近く上っていかなくてはならない。
本当に遠くへいってしまうのだ。
我らも列車からおり、塚ちゃんとおいちゃんを見送る。
塚ちゃんに気を取られているうちに、おいちゃんは名残惜しむ時間も与えてくれず、
やさしくハンドキスをして振り向かずに去っていった。
おいちゃんは本当の父のようであった・・・
塚ちゃんは義理の弟が迎えにきていた。
そして誰かまだ待っているようだったが、
実は私たちがホームにいたので、
塚ちゃんはその間ホームに残っていてくれたのであった。
そして我らと少し雑談したあと、さよならして去っていった。
二人ともホントにいい人であった。
(写真は塚ちゃん 35歳)
二人が去っていったあと、次に人は乗ってこなかった。
再び私たち二人の貸切となったが、シベリャーク号に乗っていたときのそれとは明らかに違っていた。
ロシア人の静かなうちの何かこう熱い人間味あふれるところにすっかり魅了されていたのだ。
二人ともすっかり淋しくなってしまって、サーシャ、おいちゃん、塚ちゃん!とわけもなく叫ぶ。
ここでぐっと人は少なくなって、もうロシア車両に乗っているのは我ら二人と、パーマ姉妹、
子連れの親子、そして新しく乗ってきたベルサーチのTシャツをきたサンタ風のおやじだけだった。
食堂車の例の兄さんが今日も水と朝食パックを持ってくるが、我々二人だけになったのをみるとちょっと哀れんだ顔つきになっている。
「元気だしなよー。」そういっているようにも感じる。
主をうしなったくまのお菓子・・・ キューンと泣いているようだ。
明日14時にモスクワに着くまでの1日淋しく過ごすのかと思うと、かなり落胆してきた。
ろしおさんはこのあたりからチェブラーシカに現実逃避しており、しきりにチェブチェブといい始める。
モスクワで何を食べるか、とか計画するも、これまでが上手く行き過ぎており、大都市モスクワに飲み込まれそうな我らちびっ子日本人が決して安易に過ごせるわけもない。
そう思うと重くのしかかる重圧。
はあ、何があってもおかしくないロシアという国にいることを今更のように実感し、ため息をつく・・・。
無為に過ごして食堂車のおばちゃんがランチパックを持ってくる。
二人の淋しい食事であった。
われらの気持ちと裏腹に食事は美味しかった・・・
モンゴル人はますますパワー全快でついにトルソーに服を着せて売り始める。
わがロシア車両は穴場だったようで、モンゴル人のばあさんに乗降口を陣取られ、
そこにロシア人が上がってきて、モノを買い求めた。
右のところ、トルソーがぶら下がっているのが見えますでしょうか?
我らがマロジナーエを買いに外に下りると、少しの時間またないと商売の邪魔になるから車内に上れないのであった。
しかし、車掌も苦笑いで、裏で取引がなされているのか、別にとがめる様子もなく、人が途切れると我らを列車に乗せるためにばあさんをストップしてくれた。
我らの唯一の楽しみといえば、そのモンゴル人とロシア人の奇妙な関係をウォッチングすること以外にもう残っていなかった。
(つづく)
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モンゴル号2日目 塚ちゃん登場
http://ostost.exblog.jp/5211784/
2006-07-08T02:55:00+09:00
2020-07-06T13:51:34+09:00
2006-07-08T02:55:53+09:00
iskra
ロシア 2006
早朝、パーマ兄が妹を起こしに来る。
彼らは降りるのかな・・・と思いきや、我々の部屋に4人目がやってくるということらしく
自分の部屋に戻っていった。
クラスノヤルスクに到着。
朝早いのでまだモンゴル人はおとなしくしている。
4人目の人はいかにもロシア人だよ☆(もう星もでるよ)っていう顔つきの男性。
明らかにおいちゃんとは顔つきが違う。
彼はかなりいい体格で、たっぷんたっぷんしていた。
初めは黙っていたけれど、そのうちものすごい早口で饒舌になっていって、うう、
今までの人とまた違う教えてちゃんであった。
日本のことや我々のことをいろいろ聞きたがるのだが、早口すぎてよく分からない。
「それは何だ?金?金?金?金?金?」って常に単語を5連発。
ひえーうるさいー。おかげでゾーラタ(金という単語)を覚えてしまったよ・・・。
そこで我らが彼に与えたニックネームは「塚ちゃん」。
我々の元上司と体格、そして言動が似てるからである。
また塚ちゃんもドイツ語と英語はなせるというけれど、不可。
最後まで早口のロシア語を聞いてなにか連想するしかない。
塚ちゃんもチュメニで降りるらしいから、おいちゃんもチュメニで降りるよと教えてあげたけど
おいちゃんも塚ちゃんも互いに関心がなかったようだ。
さらにいうとおいちゃんは塚ちゃんみたいなうるさいやつは苦手なようであった。
食堂車の兄さんがまた水と朝食パックを配りに来る。
これは毎日のサービスなのかしら?サラミとクラッカーをむしゃむしゃ食べる。
さて、お昼の停車駅。モンゴル人パワー炸裂。
我々が列車を降りるよりも早く窓からホームに下りてモノを売っている。
それを待ち構えるロシア人・・・。
彼らのものがそんなに安いのか?そんなに物不足なのか?
何でもいいからくれ!見たいな人やサイズお構いなしにモノを買う人。
売れ行きの品はポップな柄の毛布♪ ゴアさんいわく質がよいらしい。
今まで駅についたら乗客が何か買う側だったのに、この客がモノを売っている状態が面白く、
これだけでもモンゴル号に乗る価値はある!
警官ではなくものを買っているロシア人に写真を撮るのはやめてくれ、といわれる。
何かまずいことでも?
しばらくするとまたランチパックが配られた。とんかつとパスタ。
サービスがよすぎなのではないか?
列車が揺れて上手く取れませんがとんかつ弁当。
ごはんの後しばらく眠る。おいちゃん視線を相変わらず感じつつも昼寝。
おいちゃんは寝ないのだ。
塚ちゃんはおいちゃんの上の段でたいそうないびきをかきながらゴロリ。
寝返りを打つ巨体がまぶしい・・・というか予想通りね。
昼間の温度がかなり上昇するようになったので、車内は蒸し風呂のようになる。
夏場乗るのはちょっと厳しいかも・・・
この日最大の駅、ノヴォシビルスクに到着。
ホームにはたくさんの警官がいる。
物を売るモンゴル人とモノを買い求めるロシア人でごった返すが、警官は見てみぬふり。
駅の職員も出てきて物を買っている。
マロジナーエを買うためにホームに下りるもキオスクが遠かったのであきらめる。
我らもモンゴル人に間違われて、何かモノを持ってないのかと聞かれたり・・・
ノヴォシビルスクを出ると再び塚ちゃんの質問ぜめにあう。
おいちゃんは塚ちゃんが座っているとしばらくどこかに消える。
次に塚ちゃんが席を立つとおいちゃん戻ってくる。
ろしおさん、寝る。
再びおいちゃんと私の微妙な空間・・・
塚ちゃんは廊下にたって外を眺めていたそのとき、おいちゃんおもむろに私の左手をとり一言、
「結婚しているのか?」(ロシア人は右手に指輪をします)
塚ちゃん、ビックリして振り向く。私もビックリ。
「・・・ええ、結婚しています」
おいちゃん感慨深そうな顔。
そうかそうか、と納得しているようにも見えるが、なんだか分からない空気が流れる。
なんと説明してよいやら・・・こういう微妙なときにろしおさん、いつも寝ている・・・
夜の駅で。
ろしおさんが寝てたので、一人で散歩。
カラフルTシャツは車掌さん。
コンパートメントに帰ると、おいちゃんがアイスクリームを買って帰ってくる。
有り難くいただく・・・
明日の朝になれば、おいちゃんも塚ちゃんもこの列車を去っていく。
2日間一緒に過ごし、二人とも情が移ってしまい、なんとも淋しいと感じる。
アイスを食べるおいちゃん。
一緒に写真を撮り、いい想い出となる。
そして時間はすぎていく・・・
塚ちゃんはゴウゴウといびきをかきはじめる・・・
ろしおさん、おいちゃんに「スパコイノイ ノーチィ!(おやすみなさい)」と言ってビックリされる。
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モンゴル号1日目 モンゴル号の実態
http://ostost.exblog.jp/5206018/
2006-07-07T12:54:00+09:00
2020-07-06T13:51:34+09:00
2006-07-07T12:54:42+09:00
iskra
ロシア 2006
もうかなりの時間が経った気がします。
6月3日 (つづき)
イルクーツクの駅で停車、およそ30分。
アイスクリームを食べ終わるとちょっと外が騒がしい。
窓から外を見ると、ロシア人警官とモンゴル人がもめている。
そしてモンゴル人は明らかに駅でロシア人にモノを売ろうとしている。
いつの間にか多数のロシア人がこの列車の周りに集まってきている。
つまり、この列車に乗車しているモンゴル人はモンゴル商人で、モスクワまでの道すがらロシア人にモノを売っているのであった。
警官はモンゴル人に「やめろ」みたいなことを言ってウデをつかんでもみ合いに・・・。
列車の扉の窓が割れる。
ひえー、なんちゅう列車だ・・・。
初めてこういうことを目にしてびびる私とろしおさん。おいちゃんは笑っている。
乗客のロシア人は窓から高見の見物、そして苦笑い。
列車は再び動き出すと再びモンゴル人の大移動が始まる。
絶えずモノを持って廊下をうろうろする彼ら。 ふーん、この列車は奇妙だ。
そうこうしていると、美味しそうな匂いが漂ってきて、食堂車の兄さんがカゴに何かを持ってきた。
3人分のランチパックであった。そしてきまって「ニェ スコリカ」といってニヤッと笑う兄さん。
またまた予想外のことにびびる。食事がでるなんて!
中身はハンバーグとごはんだった。
でも先ほど食べたばかりだし・・・アイスも・・・ と思ったのにも関わらず結局食べる。
なかなか美味しい。きゅうりはろしおさんに食べてもらう(笑)
食べ終わって少し眠る。おいちゃんまたこちらを見ている・・・
モンゴル号にはロシア人客車が一両しかなくて、またしても乗客は少なかった。
それなのにロシア人の車掌は女性3人も乗っていて、でっかいおばさん車掌と、金髪のほっそりした車掌、たえず掃除してくれる赤毛の車掌であった。
おかげで車体は古いものの、清潔で過ごしやすかった。
車掌の部屋には絶えずお客さんがいて、何をしているか分からないロシア人の乗組員もロシア車両で寝たり、食事したり。会議したり(笑)
なんだか自由なのである。
私たちのコンパートメントの隣のお部屋はいつの間にか食堂車の従業員の仮眠室になっていて、兄さんや、姉さん、何をやっているかわからないでっかいロシア人(この人もサーシャ)が時折入ってった。
逆隣の部屋にはここに来て初めての酒飲みロシア人のグループ。
イルクーツクを出たあたりからハイペースでのんでて、時々笑い声が聞こえてくる。
あとはロシア人のファミリー、ちゅるちゅるパーマの姉妹と兄が乗っていた。
おいちゃんは誰と話すでもなく、いつも静かにしていた。
しばらくしてジマ駅に停車。
ここではモンゴル人がおとなしくしていた。
モンゴル人車掌はなまめかしい。警官はこっちを見ているが別に写真を撮っても注意されない。
モンゴル車両
ロシア車両。右上の窓から覗いているのは私に手を振るおいちゃん。意外とひょうきん。
さて、写真を撮って列車に乗るとおばさん車掌が「お嬢さん、ちょっと」と手招きするので、
なんだろうと思って車掌部屋に行くと、毛布を出してきた。
「この毛布はねえ、とってもハラショーなのよ、手触りもよくって。触ってみなさい。」みたいな説明を私にし始める。
おいおい私に毛布を売ろうとしているのか、車掌さん。
近くにいたパーマの姉も「そうよ、お得よ!」みたいなことを言っている。全員グル?
「イヤー、必要ないんですみません」と言ってお断りすると車掌つまらない顔。
モンゴル号ではモンゴル人だけでなくロシア人もモノを売るのであろうか?
まったく不思議である。
隣の飲んだくれグループは一人が限界に達し、窓からはき始める。 おーい!
キオスクには何も食べ物がなさそうなので、夕食には長崎ちゃんぽんを食べる。うま!
夜に泊まった駅でマロジナーエを買って食べ、食べ終えて列車に乗ると
また配給なのかおいちゃんのおごりか分からないマロジナーエが用意されている・・・。
うーん。謎だ。
ぴんぼけ。かわいいマロ。
パーマ妹(推定12歳)が座席の都合で我らの部屋に寝に来る。
電気を消して眠りにつくがおいちゃんは暗くなってもクロスワードをやっている・・・
外は白夜。何時まででも明るく、完全には日が暮れない。
1日寝てばかりなので、眠れるのだろうか・・・
と考えているうちに自然に眠っていた・・・。
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モンゴル号1日目 おいちゃんの秘密
http://ostost.exblog.jp/5196135/
2006-07-06T02:14:00+09:00
2020-07-06T13:51:34+09:00
2006-07-06T02:14:17+09:00
iskra
ロシア 2006
淋しいながらも、モスクワへの3泊の列車のたびが始まる。
ウランウデから同室になったおいちゃん(50歳くらい)はこざっぱりとした人で、
いつもお茶を静かにのみ、新聞を読んだりして時間を過ごしている。
典型的なロシア人の顔ではなく、西洋人だがどこか違ったかんじがする人であった。
またのんだくれのロシア人じゃなかったよーってホッとする。同室者には恵まれるようだ。
おいちゃんにどこまで行くのか?と聞かれ、「モスクワまで」と答える。
おいちゃんはチュメニまでいくそうだ。ということはおいちゃんとは2泊を一緒に過ごすことになる。
さらにおいちゃんはチュメニからオビ川を上って行くらしくて、地図でおおよその場所を指してくれるけど、かなり遠いらしい。
おいちゃんの町はおおきいの?と聞くと大きな街だ、とかえってくる。
時折おいちゃんは自分のカバンの中に手を伸ばし、ちらちらなにか見てるんだけど、
すぐに引っ込めるのでそれが何か分からない。
少し前はバイカルアザラシのカードが出てきたので、そういうのをみてるのかしら?と思った。
ここらで朝ごはんを食べてないから食堂車にでもいくかーといいつつ
ろしおさんと二人で食堂車へ。
先客あり。しかし、座ったとたんに まだやっていない、1時オープンだ、といわれる。
なんでお昼やらずに13時からなのか?ちょっと疑問に思って仕方ないので、部屋に戻る。
持参のジュースなどのみ空腹を紛らわす。
するとバイカル湖が見えてくる。
これからイルクーツクまでのしばらくの間、列車はバイカル湖に沿って駆けていく。
おいちゃん、おもむろにカメラを取り出し、バイカル湖を撮る。
我らも負けじととるが、おいちゃんにもバイカル湖は、珍しいものなのだろうか・・・
車窓よりバイカル湖
おいちゃんはおとなしく特にこちらに干渉することもないのだが、このアジア人が珍しいのか、
絶えずこちらを、もっと言えば私を見ている・・・しかし、凝視という感じでもなく、なんか遠くを見るように見ているのだ・・・
ひえー顔になにかついてますか、私!
視線を感じつつもバイカル湖を凝視しつづける私・・・ ああ、ちょい疲れてきたよ・・・
ってろしおさん、寝ないでくれ。このおいちゃんとの変な雰囲気は私には重過ぎる・・・
そんな感じでこ一時間バイカル湖を見続け、私も疲れたので横になる。
時折のおいちゃんの視線を感じつつも何とか少し寝る。
暑くなったので、起きる。おいちゃんはクロスパズルをやっていたようだ。
ろしおさんも起きて、下の私の寝台に座る。またちょっとおいちゃんとの会話。
ろしおさんはこの時点でロシア語は「ハラショー」「スパシーバ」「マロジナーエ(アイスクリーム)」が主で、最後までこの単語を使っておいちゃんと会話をこなしたつわものである。
おいちゃんの名前はヴィクトルであった。
おいちゃんは私が娘に似てる、と言い出し始めた。
娘ってロシア人でしょ・・・まさかにてるはずがないし・・・と思ったとたん、その瞬間がやってきた。
カバンの中の秘密、それはおいちゃんの娘の写真であった。
わたし 「・・・・・・」 やっぱり似ていないのでは?よく分からない・・・
おいちゃんはうれしそう。
しかしながら私は31歳だというとおいちゃん腰抜かす。おいちゃんの娘は18であった・・・。
そうこうしているとウランウデをでて初めての停車駅が近づいてきた。
停車時間2分。何か買えるのだろうか・・・ そう思うや、売り子が一斉に駆け寄ってきた。
いかにも買ってくれーといわんばかり。 おおー いいかんじ。
私とろしおさんは降りようとするけれど、車掌にここは短いからダメよ、と制止される。
なんだ我らのような素人は短い停車駅で降りるのはやめたほうがいいのか?
そうおもうが早いか、売り子の中からおいちゃんが列車の中に駆け上がってくる。
なんちゅう神業、しかも手にはオームリ(バイカル湖名物の魚)の燻製を大量に持っている。
我らは何も変えなかったので、少し早いが13時といわれた食堂車に行ってみる。
おねんさんに「やってますか~」というと「座れ」といわれたので、着席。
我らのほかに客はいなかった。
メニューを持ってきてくれるけど、今回はチョイスが少なく、割高。
しかもシベリャーク号の食堂車で5ループル(25円くらい)だったチャイが50ルーブルになっている。
ひえー10倍ですか!
座ってしまったので、スープとパン、ポテトフライ、チャイを頼む。
スープ。味は例のごとく美味しい。・・・この器家にあるよ。
この頃になるとモンゴル車両のモンゴル人の行き来が激しくなってきた・・・
彼ら何をうろうろしてるのだろう。しかも絶えずモノをもっている。明らかに商品。
洋服や毛布、ジーパンなどもって列車内をうろうろしている。
しかも我らをみて、同胞かどうかサグッテイルヨウダ!
食べ終えて席に戻ると、おいちゃんはオームリを何匹とゆでじゃがを食べた後だった。
オームリとジャガイモののこりがそのままテーブルの上においてあるので、
横の私はそのオームリ臭にちょっと困惑・・・ おいちゃんいいひとなんだけどな・・・
テーブルの上はおいちゃんの荷物でいっぱい。これはおいちゃんのお菓子。かわいい。
次の停車駅はイルクーツク、ちょっと散歩に降りる。
売り子はいない・・・
イルクーツクからモスクワまでは売り子の取り締まりが厳しいらしく、さっきの駅が売り子からモノを買う最後の砦であった。
(これから先はキオスクでモノをかうことになる)
座席にもどると、おいちゃんがアイスクリームをくれた。
なんか申し訳ないので、いくらですか?と聞くと分からない(笑)とごまかされる。
これはおごりなんだろうか?それとも列車のサービスなのだろうか?(そんなことがあるの?)
疑惑のマロジナーエ。紙に包んである直方体のアイス。あなたはどこから来たの?
イルクーツク、もともと我らが降りる予定だった駅。さすがにでかいし、警察もいっぱいいる。
さて、この辺でこの列車、モンゴル号たる特色が出てくることになる。
つづく。
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モンゴル号でモスクワへ出発 さよならサーシャ。
http://ostost.exblog.jp/5187894/
2006-07-05T02:18:00+09:00
2020-07-06T13:51:34+09:00
2006-07-05T02:18:59+09:00
iskra
ロシア 2006
サーシャに朝7時に迎えに来てねと約束したので、早々と起きてロビーで待つ。
サーシャやってくる。
そして5分で駅につくが駅を通り過ぎる・・・ えー!?
なんとウランウデ最終日にして我らはサーシャに拉致されるのか?!
しかも、このトランスファーはどう考えても前日発作的に「サーシャも10ドル」と言ってしまったサーシャのプライベートなお仕事となっているのが目に見え、会社とは何の関係もない、事実すら知らされてないことではないのだろうか?
とするとここで我らがサーシャにさらわれても、誰もこの事実を知らないのである!
ここで今まで美味しい思いをしてきた我らにつけがまわってきたのか・・・
サーシャはぐんぐん車を走らせるといきなり止まって、上が何とかといっている。
ろしおさんいわくウランウデが一望できるところが・・・といってるんじゃないの?ということになり
列車の時間が7時42分だから早すぎるからサービスしてくれるような感じで、
なんか分からないが「ダー」といったらサーシャは丘のほうに向かって車を走らせた。
ドンドン上っていく。
しかし、私は空港には3時間前にはいてもかまわんタイプなので、多少早く駅についてもかまわんのだが・・・。
5分くらいすると頂上について、そこにはパゴダがあってウランウデの町が眼下に広がる。
そこは展望台であった。
あいにくの曇りだが、サーシャは最後にこのウランウデの景色を私たちに見せたかったようだ。
やっぱりサーシャいい人ね。疑ってゴメンよー
それから丘を降りていって駅へ。ウランウデの駅。
サーシャが列車まで荷物をもってくれる。有り難い。
私たちが乗るのはウランバートルからウランウデ経由でモスクワに向かうモンゴル号。
週に一便走っていて、ドミートリーにこの日はこれしかないといわれたので、
まあそれでいいや、てことで決定した列車である。
列車はモンゴル国鉄の車両で、車掌もモンゴル人。
すでにロシア人になれている我らはちょっと失敗かも・・・とおもい始める。
そして我々の16号車は・・・と 11 12 13・・・と数えてそれから後ろには客車がない!
あらー、ついにドミートリーにやられたか!
サーシャがモンゴル車掌に16号は?と聞くと向こうだ!といわれ、引き返していく。
とレストランの隣の車両はロシア国鉄の車両で、それが16号車であった。
ほっと胸をなでおろしつつ、車掌にチケットを渡す。
パスポートを出そうとすると、車掌に大丈夫といわれる。ああ、もうなんか簡単やね・・・
自分たちの座席に荷物を置きに入るとすでに先客が・・・
身なりのいいビジネスマン風の50歳くらいの紳士であった。
おいちゃんは私たちをみてちょっとびっくりした感じ。
しかし、おいちゃんに「はじめまして」といって、すぐに列車をおりてサーシャにお別れ。
サーシャのおかげでウランウデとバイカル湖は楽しかったよ、サーシャいい人だ、またあいましょう、と名残おしみつつ・・・
サーシャにちょっとプレゼント。私は小さなペンライト。
渡したとたんにサーシャは自分の目に向けて光を照らす・・・目によろしくないでしょ、そんなことすると!
ろしおさんはサーシャにセンスをプレゼント(彼女、センスを大量に持っている)。サーシャ大喜び。
サーシャとにこやかにお別れ。
そして列車はゆっくり動き出す・・・
ああ、ウランウデいいところだったよ。充実の2日間だったよ。
・・・。
我らはウランウデを離れる寂しさでいっぱい。
それとともに大都市モスクワに向かうことが重圧にすら感じてきた。
なんでもう少しウランウデにいなかったんだろう・・・
ああ、さびしいよ、サーシャ!
と、おいちゃんを横にサーシャの名前を連発。
おいちゃんは、なんでサーシャ、サーシャ言うとるのか、この子らは・・・と思ったに違いない。
このあともずっとサーシャの話題でもちきり。
なにかにつけサーシャを連発。おいちゃん迷惑。
4人のりのコンパートメント。この日は3人で。私と机をはさんでおいちゃんが隣。
ろしおさんは私の上の段。
モンゴル号の車内。シベリャーク号より少しきれい。トイレは特にきれい。
しばらくすると車掌がシーツを持ってくる。
シーツ代いくらですか?って聞くと「ニェ スコリカ (ただ)」と言われる。
シベリャークでは45ルーブル払ったのにモンゴル号はただであった!
しかもモンゴル号にはアメニティがついていた
石鹸と糸ヨウジ、紙ナプキン、ウェットティッシュが入っていた。
そういえば、前もモスクワからペテルブルク迄赤い矢号に乗ったときにもそんなのがあったような・・・
しかしシベリャーク号のサービスが普通だと思っているので、急にサービスがよくなった気がしてうれしくなる。
驚いてると、今度はカゴ持った売り子みたいな兄さんがやってきて、3人分のペットボトル(水)と小さなパック見たいのを置こうとする。
また「ニェ スコリカ」といわれ、ニャッと笑われる。
えー、水もサービスなの?
パックをあけるとクラッカー、サラミ、ウエハース、ティパック、インスタントコーヒー、砂糖が入っていた。どうも朝食のようだ。
そしてプラスチックのカラトリーセットもついてきた。飛行機みたいだ。
モンゴル号の不思議はまだまだ始まったばかりであった。
予想だにしない出来事が我らをまっていた・・・ つづく。]]>
再びウランウデへ サーシャとともに
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2006-07-04T01:25:00+09:00
2020-07-06T13:51:34+09:00
2006-07-03T16:51:23+09:00
iskra
ロシア 2006
こんなに毎日面白いことだらけなのに、日本を出て一週間しかたっていないことに気づく。
(うち2泊は船だし)
朝目覚めるとお姉さんがごはんを作りにやって来てくれた。
これはカッテージチーズのパンケーキでふわふわして美味しい~。
実はおねえさんの名前を忘れてしまったので、(たぶんイーラさん)お姉さんに住所書いてとお願いする。
キリル文字の筆記体は読むのが難しいから、アルファベットも書いてね!というとおねえさんは困った様子。
で苦労して書いてもらった住所には、お姉さんの名前がないし!意味ない!
このときにある事実を発見。お姉さんのメールアドレス、旅行会社になってるし・・・
お姉さんは旅行会社の人なんだ! とするとサーシャの関連会社?
そしてお姉さんは私と同い年であることが判明~。姉さんびっくり。私もびっくり。
食後はサーシャが迎えにくるまでバイカル湖を散歩。
今日はヤギの大群に出会う。ろしおさんとヤギ。
湖畔の草地には牛がのんびり。
バイカルの風と太陽の光を胸に焼付け、さよなら(涙)
きれいな窓辺。
お茶目なポスト。
家に戻ると泥んこのサーシャの車が止まっていた。お姉さんとお茶をして、なんだか楽しげなサーシャ・・・
さて、グレムヤチンスクともお別れ!
さびしいなーーー ってお姉さんもなんかバックパックを車に乗せてるし!
「お姉さんもウランウデにいくの?」ときくと「ウランウデにすんでる」といわれる。
今までお姉さんはグレムヤチンスクで家を貸してる人なんだと思ってたけど
実はこの家を管理しているウランウデの旅行会社の人だったんだーと初めて分かる。
とするとわざわざウランウデから来て、私たちの世話をしてくれたのね・・・なんてことでしょう。
しかし5番の家は誰の家なんだろう・・・
お待たせしました。思い出いっぱいの家の前でサーシャとおねえさん 顔半分のろしおさん。
それからおねえさんも加えた4人でウランウデまでドライブ。
やっぱりぬかるんだジャンピーな道を2時間と少し・・・ ウランウデに戻ってきた。
ウランウデの手前にはモンゴルのゲルみたいなのがあって、そこにも泊まれるらしい。面白そうだ。
そして、サーシャにつれられてブリヤーチアホテルへ。駐車場でお姉さんとさよなら。
サーシャに「明日は送迎はいるか?」と聞かれる。
駅まではあるいて10分くらいなので、特に考えてなかった。
以下、ろしおさんとサーシャのやり取り。
ろしお 「タクシーはいくらくらい?」
サーシャ 「10ドル」
ろしお 「サーシャにたのむといくら?」
サーシャ 「・・・サーシャも10ドル」
ろしお 「タクシー10ドル サーシャも10ドル?」
大うけ。そして10ドルのサーシャをチョイス!
前日に予約してもらった際に一番安い部屋で!とお願いしたので、ルームチャージで50ドルで
しかし水しか出ないよといわれていたのだ。(そのときは別にいいだろーと思った)
だが、我々はグレムヤチンスクで満足にシャワーを浴びてないし、また翌日からモスクワまで3泊の列車旅になるので、どうしても本日は暖かなシャワーを浴びたい・・・
よってサーシャにいくらアップチャージ払うとお湯が出る部屋があるの?と聞くとまたサーシャ困った顔。
フロントにいろいろ聞いてくれて6階で50ルーブル(250円くらい)払うとお湯のシャワーを使えることが判明。
サーシャがいてくれてとても助かるわ~
それからサーシャに部屋まで荷物を運んでもらって、明日の朝ホテル前で・・・ということでお別れ。
サーシャはドカドカと小走りで廊下を去っていった。サーシャ突込みどころ満載。
室内。予想通りの超共産主義的産物の室内に胸おどる。ちなみにロビーはモダン。
昼食はホテルの前のレストランでシャシリクを! 豚肉だったと思うけど、うまい!(もう何でもうまい)
食後はウランウデの町を見てまわる。
ブリヤート人とロシア人の共存の姿に一種の理想郷を思い浮かべる私。
しかも我々がいても違和感なし。なんてハラショーなウランウデ。
デパート前に遊具がでてました。
ウランウデのメインストリート。ホテルから近い。巨大なレーニンヘッドです。手前の人と比べてみてください。いい感じのレーニンですね。
明日は早朝7時代の列車に乗って、モスクワへ。 再び3泊4日の列車のたび。
サーシャとお別れするのが淋しい・・・]]>
グレムヤチンスクの町
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2006-07-03T01:43:00+09:00
2020-07-06T13:51:34+09:00
2006-07-02T22:43:42+09:00
iskra
ロシア 2006
胸いっぱいになりながら来た道を戻っていくと、グレムヤチンスクの町が質素でありつつも、
輝いた土地に見えてくる。
私がトルストイに見る土の匂いとは、こういう場所のことではなかろうか、しみじみ。
家畜は放し飼いにされ、時間が来ると自分で家に戻っていく。
家々は窓のふちがきれいに装飾されていて、素朴さの中にロシア人の美意識を感じる。
木造の壁の内は豊かにデコレーションされた暖かな生活があるのかとおもうと羨ましい。
だって、日本の住宅なんて、冬は隙間風だらけよ!
ロシアの家は2重扉になっているので、家の中はホント暖か。
道の真ん中に座り込むヤギ。
人影も少ない、ひっそりとした町。
日本がまだ暗かった時代、こういう風景がよく見られたかなと思います。
家の囲い(塀)は木の板で、ど根性ガエルのヒロシの家を思い出します。
おばあちゃん3人組
こういう懐かしい感じのが普通のようです。若者これで暴走しまくり。
さて、散歩も堪能し、3泊もお風呂に入っていないので今日こそ洗髪を・・・と思いきやシャワーがない。
庭のバーニャにあるのかなあ、と見に行くもやっぱりない。ということはバーニャをお願いすべきだったのである。
しかしながら、バーニャ(サウナ)で髪が洗えそうな感じでもなかったので(ドラム缶いっぱいに水がくんであるが)考えた挙句、水を沸かして、それで洗髪しようということになった。
巨大鍋二つにお湯を沸かし始める私とろしおさん。
お湯が程よく沸いたので、それを薄めてまず私が洗髪。
洗面所をぬらすわけには行かないので(床の排水溝はないです)たらいの上にたってまるで行水・・・
しばらく続けてると、ろしおさんが「お、お姉さんが来たッ!」と叫んだので、見つかってはまずいとおもい
(だってこれが日本人の習性かとおもわれるかも知れないから)
鍵をかけて洗面所をブロック。お姉さんは大なべ二つが出てることに気づかずに帰っていく。
ほっとしつつやっと体を洗うことが出来て、あとはしばらくまったり。
しばらくしてもう一度バイカル湖に散歩。かなり寒かったけど、今日の見納め。
海のようです。
家に帰る途中にお姉さんが後ろから追いかけてきた。
(というのも5番の家からは我らの往来は丸見え)
なにかしきりにロシア語で言っているのに、まったく分からず、
しきりに姉さんは「ニチボー?(大丈夫?)」「ニチボー?」というだけなので
(何が大丈夫なんだ?明日の朝食か?朝食は必要だぞ!)
お姉さんが話せるというドイツ語か英語で言ってくれ、というもまったく通じていない。
というかそれまであったロシア人、英語はなせるよと自分から言ってもほとんど話せる気配もなく、
ろしおさんが「あなたのなまえは?」と聞いても決まって「・・・」沈黙なのである。
どうも挨拶ができる程度で話せますといっているらしく、それだったら我らは10ヶ国語くらい話せるよ!
(しかし、ロシア人物怖じせずに話しかけてくるし、そして我らの話も聞いてくれる。)
結局お姉さんは「何かいるものない?大丈夫?」って聞きたかったらしい。やれやれ。
でもお姉さん何かにつけ見に来てくれるし、親切。
本日の夕食。
ろしおさん提供、マルタイ棒ラーメン。焼き鳥缶。 ろしおさんの好物だそうだ。
(私は同じ袋ではマルタイの屋台ラーメンかが好み。家族よ、送っておくれ。関西にない。)
毎度のことだけどうまい! 食べるものすべて美味しい。
夜もふけていくが、白夜なので、不完全燃焼な空。
星がきれいに見えるのは冬かな・・・
グレムヤチンスク、一泊だけなのが残念。 あすはウランウデに戻りますー。
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ウランウデからバイカル湖・グレムヤチンスクへ (今日もながい)
http://ostost.exblog.jp/5162309/
2006-07-02T01:18:00+09:00
2020-07-06T13:51:34+09:00
2006-07-02T01:18:02+09:00
iskra
ロシア 2006
日本から陸・海路でスペインまでお疲れ様でした・・・
しかし誰が考えたんでしょうね、そんな長旅・・・ともあれお疲れでした。今日はぐっすり休んでください。
6月1日 (つづき)
サーシャ、私とろしおさんの一向はバイカル湖畔グレムヤチンスクの町を目指して出発。
ウランウデを抜けるとタイガが広がり、自然豊か。
山を越え、町を駆け抜け、牛を横目にサーシャは車を飛ばす。
彼はほぼロシア語しか話さないので、何かにつけ私に話しかけてくるのだが、私もほとんど分からない。
しかし、まあ楽しいドライブ。
グレムヤチンスクまで2時間半。
外は曇ったり小雨が降ったり、晴れたりで雲の流れが速い。
バイカル湖方面の空は明るい不思議な色をしてたけど、あとでそれは雲の上から見る空の濁りのないブルーだと気づく。
途中からぬかるんだ道になり、すごい悪路がつづき、サーシャの車は泥んこになってしまった。
なんだかすごい申し訳ない気分。
グレムヤチンスクの手前に湖が広がっていたので、「これがバイカル?」ってきくとサーシャに笑われる。
そして車はグレムヤチンスクの町(村くらいの規模です)に入っていった。
空は晴れていたが、気温が低く、ロシア入りして一番寒い日であった。
宿泊する家の前にお姉さんが待っていてくれた。
サーシャに明日12時に迎えにきてね、と約束して、サーシャはまた来た道を2時間半かけて戻っていった。
サーシャ、名刺にはDirecterと書いてあるのに、嫌な顔せずにドライバーもこなすいい人だ。
(ちなみにサーシャの本名はアレクサンドルという立派な名前である)
お姉さんに部屋を案内してもらう。私たちが借りたカントリーハウスというのはいわば普通の家なのだが、一棟かりたので、広い。
リビング。テレビもあるよ。
ベットはふかふか。
ペチカとかもあるよ。
お姉さんが庭に連れ出し、バーニャ(ロシア式サウナ)使う?っていってバーニャを見せてくれた。
しかし薪で準備しないといけないので、めんどくさいだろうし、いや、いいですとお断りをした。
お姉さんは何か困ったことがあったら5番の家にいますといってしばし去っていった。
さて、私どもはキッチンでたらこスパを作り食べた後、バイカル湖にお散歩。
空は澄んでいる。
湖まではこんな感じの田舎道。(でも5分くらいです)
見えますか、バイカル湖です!
この砂浜! ろしおさんが向こうに見えます。
なんと氷が漂ってます! 鳥も喜んでおります!
これははえているのでしょうか?
しばしバイカルの映像をお楽しみください。
バイカル。今まで旅をして埋まらなかった何かを一気に埋めてくれた。
ゴウゴウと吹く風が冷たく吹き抜け、鈍いような太陽の光。
思い描いていたロシアというものを深く感じ取った。
とても満ち足りた気分で、来た道を引き返した。
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ウランウデ 到着 (ながいです)
http://ostost.exblog.jp/5152753/
2006-07-01T00:03:00+09:00
2020-07-06T13:51:34+09:00
2006-06-30T22:03:57+09:00
iskra
ロシア 2006
昨日部屋に遊びに来たチタのスポーツ少年団の子らは夜中に降りていき、
再び車内は淋しくなっている。
大体3泊も乗っているのは私らぐらいなもんだ。
ウランウデはこのたびの次の目的、バイカル湖に行くということのために立寄る。
しかしウランウデからバイカル湖までは車で3時間ほどかかるため、
普通ならば旅行者はイルクーツクで降りて一時間ほどのバスでバイカル湖畔リストヴィヤンカに向かう。
私たちも当初はそう計画していたが、ドミートリーの有り難い導き(もしくはコミッションのもんだいか?)で
イルクーツクからの予約が入らないから、ウランウデで取りましたよ、ということが発端で、
ウランウデ行きになってしまう。
なあに、ウランウデからの予約で(7時間後の駅の)イルクーツクから乗っても大丈夫ですよ、
僕がメッセージ送っときますから、 などとドミートリーが言うが、
ロシアで理不尽なことを言われて、列車に乗れなかったらえらいことなので、
ウランウデに立寄ることにする。
まあ、私もウランウデはアジアチックで面白そうなところだと思っていたし、
ろしおさんはすでにイルクーツクに行ったことがあったし、
ホモさんがイルクーツクはヤクザな町だといっていたので、それはそれで楽しみにもなっていた。
しかし、それとともに私たちはウランウデからバイカル湖に行くための交通手段を確保しないといけないことになる。
ローカルバスは朝の一便のみ、帰りのバスは不明という状態だったから、元々2泊するうちの一日で往復するというのは難しく、結局現地の旅行会社に車のチャーター依頼+バイカル湖一泊を見積もってもらうことにした。
いくつか返事が来たうちでFirntravelというところがもっともレスポンスがよく、料金もよかったので、そこに決定。
(二人でトランスファー往復140ドル、グレムヤチンスクのカントリーハウス70ドル朝食付き)
バイカル湖畔(バイカル湖の東地域)はいくつか町があって、色々探した中で一番ウランウデからルートがよくて、
砂浜がありそうなところということを考えてグレムヤチンスクに決定。
朝9:42 ウランウデ着。
列車がウランウデに着くと旅行会社のスタッフが駅に迎えに来てくれることになっていた。
車掌さんにさよならを言って降りると、おねえさんが話しかけてきた。
ああこの人が旅行会社のひとねーと思っていると実はその人は別の会社の人で、私が見積もりを流したうちの一社が(値段があわずに断念したのですが)シーズンオフの客を逃すまいとキャッチしに着ていたのだ。
しかし、もうよそで予約してるから、「不要です。」というとおねえさんは名刺だけ渡してさっさと退散。
名刺にはグレムヤチンスクの宿の住所と値段が書いてあったけど、メールをやり取りした時点よりももっと高くなっていた。
すぐに後ろのほうから眺めていた男の人が近づいてきて、「アイム ドライバー」という。
見るからにブリヤート人の彼だが、彼がホントにドライバーという保証もなく、え?ホントに大丈夫なの?みたいな感じでまごまごする。
「名前はサーシャです」
ひえー、このごっつい兄さんの名前(愛称)がサーシャとはかわいすぎるー。
しかもロシア人は自分で自分の愛称を言うのがかわいらしい・・・
日本でいうならけんいちさんという人が自己紹介するときに「けんちゃんです」というようなもんだ。
とにかくサーシャが旅行会社のひとかどうかも分からないし、お金を直に払うのも怖いし、
レジストレーションの件もお願いしてたから、オフィスにつれてってくれ、というとサーシャはちょっと困ったかんじ。
しぶしぶサーシャはオフィスにむかうことに。
駅出る前に水を買いたいというとこの店はバッドだからとサーシャに言われ、オフィスに行く途中に親切にスーパーに寄ってくれる。
しかも安い水を一緒になって探してくれるし、意外と親切ね、サーシャ。
そうこうしているうちにサーシャのオフィスに到着。建物の中に入っていくと誰もいない。
(すでに10時半くらい)
サーシャがあとで同僚が来るみたいなことを英語だったかロシア語だったかで言って
(注:彼はほとんど英語がしゃべれません)とにかくインターネットをしろ、みたいに促され、
サーシャはコーヒーを入れ始める。
なぜかひとのオフィスでネットをはじめる私とろしおさん。
しかしながら日本語は文字化けで読めない。
そうしてると同僚が徐々にやってきて、普通に仕事がはじまる。
コーヒーをのみつつ、メールをやり取りしたラりザさんと会話する。(ラリザさんは英語が堪能)
ついでに翌日のウランウデの宿も予約してもらう。一安心。
ラリザさんの話によると、シーズンオフなのでいまはあまり仕事の需要がないらしい。
そんなこともあり私たちは大歓迎された模様。
ここの旅行会社はとても親切なので、私たちもとても満足する。
そしてお金を払い、グレムヤチンスクに向けてサーシャと出発!!
途中でトイレに行きたくなりサーシャを困らせるも天然のトイレでしてくれといわれる私・・・
でも、爽快。森の香りというのは!
(つづく)
そろそろろしおさんが帰ってきますね!
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シベリャーク号 3日目
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2006-06-30T01:46:00+09:00
2020-07-06T13:51:34+09:00
2006-06-30T01:46:16+09:00
iskra
ロシア 2006
列車の中で2泊過ごし、4人部屋を二人で占領するたびはとてもラク。
時折の停車駅でアイスクリームを食べて、ゴロゴロしてばかり。
あとは元職場の話などで(いつもアベベの話で盛り上がる。)1日がたちまち終わる。
3泊なんて長いねーといいつつも、お風呂なしの3泊が降りる頃にはなんともなくなっているのだ。こわい!
もっとも私はトイレで水浴びしてましたけどね。
最新鋭の列車にはシャワー室がついてるらしいけど、それには縁がなかった模様。
車掌さん。二人交代でいろいろ世話をしてくれる。毎日掃除してくれるし、働き者です。
途中駅で。真ん中の人はブリヤート人?モンゴル人?
キオスク。この韓国麺はポピュラーですね。列車の中でみんな食べております。
シベリアの家はみんなこんな感じです。窓枠がきれいだけど、外壁は普通の木材です。
質素なのに、中はとっても断熱の工夫がしてある。
途中駅。空がきれい。
同じ駅で。建物の色がいいです。
味のあるベンチだなあ。
キオスク、何でもあるよ。
本日の夕食。ブリヌイ(ロシア風クレープ)と特大のピクルス。
ピクルスはろしおさんの好物です。タリンでは2日で一瓶食べてました。
そんなに塩辛いものたくさん食べると体に悪いよ・・・
ウランウデに向かってすいすい進みます。
夕やけがきれい。
こんなにしてると、翌朝ウランウデで降りるのがイヤになる。
このままモスクワでもいいかな・・・ このゆったり加減にとても満足・・・
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